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ヒストリー

ヒロシマの記録1962 11月


1962/11/1
米が太平洋ジョンストン島上空で1日、8度目の高空核爆発実験を行い成功
1962/11/1
米政府原子力委員会が「ソ連は1日、2回の核実験を行った」と発表。ともに中規模。一つは中央アジアで高空実験、1つはノバヤゼムリャ付近で大気圏内実験。同委員会が発表するソ連実験の27、28回目
1962/11/1
国際軍縮要求デー。広島市内で市民約800人がデモ行進、原爆慰霊碑前で「原水爆禁止と全面軍縮のための広島集会」を開く。来年1月1日を期して核実験禁止協定の締結を求めた広島アピールを採択。国連や核保有国、世界の平和団体に送付へ。ガーナ・アクラ市での民間人の国際軍縮会議(6月)で決まった国際統一行動の一環
1962/11/2
スウェーデン・ストックホルムの週刊誌ウイ本社から「8月18日号にヒロシマ特集をしたので批評してほしい」と広島市に手紙と週刊誌が届く。同誌の記者が2月に広島を訪れて取材、原爆被災者の苦しい生活などを4ページ特集
1962/11/3
米がジョンストン島付近で3日、高空核実験を実施。太平洋高空核実験の9回目
1962/11/3
米政府原子力委員会が「ソ連は3日、ノバヤゼムリャ地区で2つの核実験を行った」と発表
1962/11/3
キューバの亡命学生グループのスポークスマンが「ソ連はキューバに空中偵察で発見されない地下核兵器基地を建設した」と述べる
1962/11/3
道徳再武装運動(MRA)国際会議(神奈川県小田原市)に出席した米ロサンゼルス市のカーミッツ・ウィルソン氏夫妻が広島市を訪問。「米国人として原爆の投下を広島の犠牲者にわびたい」と原爆慰霊碑に参拝
1962/11/4
米政府原子力委員会が「ソ連は4日、セミパラチンスク地区で中規模の大気圏内核実験を行った」と発表。同委員会が発表したソ連核実験の31回目
1962/11/4
広島「折鶴の会」の事務所が広島市猿楽町の同会世話人、河本一郎氏宅から同市牛田町に移転し、事務所開き。広島県職員の谷口与世夫さんが自宅の一部を貸す(11・5)
1962/11/4
ケネディ米大統領が「今回の太平洋核実験が完了」と発表。ネバダ地下核実験は続行。太平洋ジョンストン島での高空核実験は成功5回、失敗4回
1962/11/5
「原水禁国民大会」の主催13団体のうち、日本青年団協議会が不参加の執行部見解をまとめる。「国民大会の意義は高く評価するが、平和運動の統一のためにも集会に参加しない態度が適切」
1962/11/5
国連総会第1委員会が来年1月1日までにすべての核実験を停止するとの中立37カ国決議案を賛成81、反対なし、棄権25で可決。決議は大気圏、宇宙空間や水中の核実験の全面停止と地下核実験の部分停止を求める
1962/11/5
原水爆禁止広島市協議会が常任理事会で、社会党、総評など13団体の開く「原水禁国民大会」(12月3、4日)に条件付き参加を決定。「日本原水協を分裂させないよう統一と発展のため努力すること」が条件
1962/11/7
フルシチョフ・ソ連首相がキューバ問題について語る。「キューバ危機のために世界は熱核戦争の本当の瀬戸際まで近づいていた。平和的共存以外に道はない。われわれは相互譲歩を基盤として妥協したいと思う。もし米ソ両国が衝突すれば、他の国々も無傷ではすまされないだろう」と理性の勝利を強調
1962/11/7
新潟大工学部アイソトープ研究室が「最近、長岡地方に強放射能粒子が降下している」と発表。4日に11個、5日に20個、7日に32個の粒子を検出
1962/11/7
フルシチョフ・ソ連首相が「現在行っている核実験シリーズを20日に終了させる」と述べる
1962/11/8
米国務省が「ソ連核実験が20日に終われば、効果的な核実験停止協定が速やかに締結される可能性がある」との声明を発表
1962/11/8
英戦略研究所が最近のソ連の戦略報告を発表。「ソ連は実戦用の大陸間弾道ミサイル(ICBM)約75基を持っている」。一方、米は同日、テキサス州アビリーン空軍基地にアトラス・ロケット中隊を新設。米の実戦用ICBMは156基
1962/11/8
広島市原爆被爆者協議会が上部組織の全日本原爆被爆者協議会の会則を作成。「目的」の項目から「原水禁運動」を除き、「原爆被爆者の医療ならびに援護対策の万全をはかり、福祉向上を期する」とする
1962/11/8
広島市原爆被爆者協議会の理事会で、宮本一男理事が被爆20周年記念事業として被爆者ヘルスセンター建設構想を発表。建設候補地に広島市牛田の神田山など
1962/11/8
西ドイツ訪問を終えた池田首相とアデナウアー首相が日独共同コミュニケを発表。「核実験停止協定と軍縮協定の成立に努力する」と表明
1962/11/9
日本原子力発電会社が第2号原子力発電所の建設予定地を福井県敦賀市に正式決定した-と閣議で福田一通産相が報告、了承を得る
1962/11/9
原水爆禁止と核実験抗議を訴え車で全国一周した広島市平和友の会の大木たけし会長と池田隆氏の2人が原爆慰霊碑前にゴール
1962/11/9
米海軍が9、10の両日、キューバを離れる公海上のソ連商船7隻を臨検、うち6隻がミサイル5~8基を積んでいることを確認。キューバに装備されたソ連の核ミサイル42基のうち41基が撤去
1962/11/12
「日仏原子力技術会議」が東京で開会。日本原子力産業会議、仏原子力技術会議の主催で約600人が参加、14日まで。日仏の原子力開発、研究状況を報告
1962/11/12
政府放射能対策本部が牛乳中のヨウ素131の調査結果に基づき「現状では牛乳は心配ない」と発表
1962/11/12
ソーニクロフト英国防相が下院で「英は近く地下核実験を行う」と発表。場所は米ネバダ実験場。米政府原子力委員会は「ケネディ大統領は英政府の要請により低爆発力装置の実験に協力することを認可」と発表。ソ連のタス通信は「核実験停止協定の締結妨害を意図」と論評
1962/11/13
広島原爆障害対策協議会の資料調査統計委員会が1961年度1年間の被爆者検診成績からみた被爆者の実態調査結果を発表。検診人数は3万4,678人で、被爆者健康手帳の所持者の47%が受診。赤血球異常は男性2%、女性4%、白血球異常は男性10.1%、女性10.4%で非被爆者と変わらないが、被爆者は身体の変調を訴えるものが一般の人より多い
1962/11/13
社会党、総評などが中心で開く「原水禁国民大会」の実行委員会が広島で結成
1962/11/14
広島宗教者平和協議会(桑原英昭会長)が「原水禁国民大会」に不参加を決定
1962/11/14
日本山妙法寺が「原水禁国民大会」について「集会は原水禁運動の分裂を強める」として不参加を決定。地婦連、日青協に次ぐ
1962/11/18
第4回原爆後障害研究会が長崎大医学部で開会、約70人が参加。原爆小頭症の死亡児の解剖例や慢性骨髄性白血病の早期発見例など21の発表。広島市の開業医槙殿順氏が「がんの放射線療法と免疫反応について」と題し、放射線照射によるがん治療法を発表
1962/11/19
広島市職員労働組合が「原水禁国民大会」について、自治労広島県本部から来ている動員指令の返上を決定。「大会参加は原水禁運動を分裂させる恐れもあり、すべての団体が参加できるよう努力してほしい」
1962/11/19
池田首相がイタリア訪問を終え、ファンファーニ首相と共同声明を発表。「両国は全面軍縮、核実験停止などで協力する」
1962/11/20
国連総会本会議が放射性降下物の国際的検査組織設置に関する決議案を賛成85、反対0、棄権11(共産圏諸国)で可決
1962/11/20
米がキューバの海上封鎖を解除(「近代日本総合年表」)
1962/11/24
東ドイツのADN通信が「東ドイツ政府は西ドイツ政府に非核武装を呼びかけた」と報道
1962/11/26
ジュネーブ18カ国軍縮会議(仏は不参加)が11週間ぶりに再開。ウ・タント事務総長のメッセージを代読。「核実験を来年初めから停止することは全世界の強い願望であり、この核停協定成立に絶好の機会」
1962/11/26
オーストリアの少年少女が折った約7,000羽の折りづるが広島市へ贈られる-と内田藤雄オーストリア駐在大使から浜井市長に通知。同国の作家カール・ブルックナー氏が佐々木禎子さんの生涯をテーマに発刊(1961年)した小説「サダコは生きる」を読んだ同国内の小中学生が折る
1962/11/27
平和記念公園の平和大通り側にある「花時計」の秒針がもぎ取られているのが見つかる
1962/11/28
ロンドンで発行されたジェーン海軍年鑑1962~63年版が「ソ連は既に12隻からなる原子力潜水艦隊が就役し、1年に5、6隻の割合で増強」と報じる
1962/11/28
共産党中央委員会幹部会員の鈴木市蔵参院議員が、広島市で社会党、総評を中心に開く「原水禁国民大会」について語る。「原水禁運動はそれぞれ独自の立場で進めることは悪いことではない。だが日本平和委員会が中心に呼びかけた大阪大会(11月20日開催)をボイコットして広島集会を開く社会党のやり方は原水禁運動の分裂行動だ」
1962/11/28
米国防総省が、1958年に精神障害の一空軍兵士が起爆装置をつけた核爆弾にピストルを撃ち込もうとした事件を初めて明らかにし、今後、核兵器取り扱い要員に精神鑑定を実施すると発表
1962/11/29
原水禁広島協議会が「原水禁国民大会」への参加について検討。協議会として参加するかどうか態度は決めず、加盟各団体の自由意思に任せることに
1962/11/29
国連総会本会議が1964年秋にジュネーブで第3回原子力平和利用国際会議を開く準備計画を進める-との日米ソなど12カ国共同決議案を採択
1962/11/29
科学技術庁が米から原子炉燃料を購入する「日米特殊核物質売買協定」「日米間の研究用の特殊核物質売却協定」について、両国間で署名、発効した-と発表。濃縮ウラン4.7トン3億9,000万円で米政府原子力委員会から購入へ
1962/11/30
広島原爆病院が開院(1956年9月)以来の診療概況とこの年1~11月間の診察概況を発表。6年余の推移では一昨年ごろから入院患者の高齢化が目立ちはじめ、血液疾患が減る一方でがんや成人病が増加。この年11カ月間の入院患者の死亡は39人
1962/11/--
原爆資料館の展示写真に誤りが判明。原子力の先駆者49人のうち、中間子の人工的創製に成功した米原子力科学者ユージン・ガードナー氏の写真。ガ氏の師の米ユタ州立大名誉教授メユー氏が10月に来館して指摘

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