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ヒストリー

ヒロシマの記録1962 12月


1962/12/1
米政府原子力委員会が世界の原子炉の現状について発表。現在、世界に設置されている原子炉は46カ国518基。うち381基が運転可能、残り137基が建設中。米が全世界の55%の286基、英、ソ連各39基、仏25基、日本11基
1962/12/2
西ドイツ原子力省が「西ドイツの大気圏内放射能は11月7日にタウヌス高原地方のケーニヒシュタインで1平方メートル当たり54マイクロ・マイクロキュリーで最高に達した」と発表
1962/12/3
社会党、総評など10団体が中心になった「原水爆禁止と平和のための国民大会」が広島市中央公民館で開幕。全国の約1,500人が参加。4日まで。初日の基調報告で佐野文一郎実行委員会事務局長(日本原水協事務局長)が共産党の原水禁運動を非難し、社会党の積極中立論を強調。最終日、約4,000人が参加した広島市公会堂での本会議で広島アピール「すべての国の原水爆禁止と平和を求める日本国民の熱烈な要求を代表して、私たちは世界最初の原爆被災地ヒロシマに集まった。…私たちは、いかなる理由であれ核実験と核拡散に反対し、即時無条件に核実験停止協定を結ぶことを強く要求する運動を強力に進め、さらに核兵器の製造、貯蔵、使用の禁止と全般的軍縮に向けて力を結集する」(12・2、12・3夕、12・4、12・4夕、12・5)
1962/12/4
西欧同盟が総会でNATO独自の核兵力保有を要請する勧告案を賛成41、反対なし、棄権12で採択
1962/12/4
ソ連ロケット軍総司令官ビリューゾフ元帥が国防省機関紙「赤い星」に論文を掲載。「ソ連は強力ロケットの開発と製作で米を依然として確実にリードしている。ソ連ロケットの核弾頭は次第に種類を増しつつある。最大のものは50~60メガトン級で、これ以上のものもある」
1962/12/5
広島での「原水禁国民大会」に参加した社会党、総評などが「原水爆禁止運動連絡会議」をつくる。「すべての国の核実験に反対」する広島アピールを生かした運動母体として、独自活動の推進へ
1962/12/7
広島を訪問中のフィリップ・ノエルベーカー氏が広島大で「国連と軍縮について」と題して講演。「人間は英知によって破滅を避けることができる」と訴える。グランドホテルでの平和問題に関する懇談会では「ジュネーブ18カ国軍縮委員会が失敗した場合、ケネディ米大統領やフルシチョフ・ソ連首相ら各国首脳が広島で軍縮首脳会談を開くことを英下院で決議するよう提案したい」と語る
1962/12/10
原水禁広島協議会が進める核実験停止署名が中間集計で約3万人に。来年1月1日までの核実験停止協定締結を求め10月末から開始。ウ・タント国連事務総長や米ソ英仏各国首脳に送付へ
1962/12/12
日本文芸家協会の招きで来日したソ連の作家、B・K・ルークス、アクシヨーノフ・ワシーリ・パブロビッチ、イリーノ・リボーワの3氏が広島市を訪問。原爆資料館を見学
1962/12/12
ジュネーブ軍縮委員会でディーン米代表が偶発の核戦争誘発を防ぐため米ソ首脳間に直通電話の設置など6項目の提案を提出
1962/12/14
ラスク米国務長官がNATO理事会で、加盟国の希望を条件に「NATOの多数国が参加した海上核部隊の創設」を提案
1962/12/14
米国防総省が核兵器の不時の爆発を防止する厳重な規則を発表。(1)アルコール常用者、財政的ないし家庭的無責任者、軍事計画の使命に消極的な者は核兵器操作の不適格者とする(2)核兵器操作を許されるものは積極的な態度と良好な軍事成績、身体条件が必要-など
1962/12/14
日本被団協の代表が厚生省と衆参両院議長に「今国会で現行の原爆医療法改正と被爆者援護法の立法措置を決議してほしい」との請願書を提出
1962/12/15
アチソン元米国務長官がフォーリン・アフェアーズ誌1月号(15日発行)で欧州独自の核武装を批判。「欧州がその防衛計画に適応する独立した核抑止戦力を作りだし得ると考えるのは幻想である」
1962/12/15
ソ連が15日、ノバヤゼムリャ地方で核実験を行ったことがストックホルムのスウェーデン国防研究所で記録。ウプサラ大地震研究所は実験を疑問視
1962/12/18
坂田昌一名大教授が広島大理学部主催のニュートン生誕320周年記念公開講演会で「科学と歴史」と題して講演。戦争絶滅への衆知の結集を訴える
1962/12/18
広島「折鶴の会」が、講演で広島を訪れた湯川秀樹京大教授をたずね、「原爆の子の像」の鐘の寄贈に対しお礼を述べる
1962/12/18
米政府原子力委員会が「ソ連は18日、ノバヤゼムリャ実験場で中規模の大気圏内核爆発実験を2回行った」と発表。同委員会が発表した一連のソ連実験の33、34回目
1962/12/19
パグウォッシュ会議の第9回(ケンブリッジ)と第10回(ロンドン)に出席した湯川秀樹京大教授の講演会が広島大教育学部で開かれ、全面軍縮と核実験即時停止を呼びかけ
1962/12/20
ジュネーブ18カ国軍縮委員会が休会に入る。核実験停止、全面軍縮問題とも進展なし
1962/12/20
米政府原子力委員会が「ソ連はノバヤゼムリャ付近で小規模な大気圏内核爆発実験を行った」と発表。同委員会が発表のソ連実験の35回目
1962/12/20
第17回国連総会が閉幕。軍縮、核実験停止問題で根本的な合意はできず
1962/12/21
ケネディ米大統領がドゴール仏大統領に親書を送り、米英首脳会談で合意した同じ条件で仏にも中距離弾道ミサイル(IRBM)ポラリスを提供すると申し出
1962/12/21
イタリア外務省が「イタリアは核兵器保有国が増えることは反対であり、独自の核武装を望んでいない。しかしNATO枠内での多角的核抑止力には賛成である」
1962/12/21
バハマ会談を終えたケネディ米大統領とマクミラン英首相が声明を発表。「NATOに核爆撃機部隊を直ちに創設し、同じくNATO機構下にポラリス装備の英潜水艦を1970年までに就役させることを決定した」。21日、米英両大使を通じ仏にも参加を呼びかけ
1962/12/22
核禁会議が全日本原爆被爆者協議会(任都栗司会長)に被爆者救援金として315万5,297円を贈る
1962/12/22
西ドイツ政府が米英首脳会談の成果を支持する声明を発表。「合意はNATO核武装実現の第一歩となることを希望する」
1962/12/22
米空軍が6回目のスカイボルト・ミサイル発射実験を行い、初めて成功
1962/12/22
同志社大学混声合唱団の一行56人が広島原爆病院で合唱慰問
1962/12/22
広島県議会が本会議で、来年1月1日を期した核実験停止協定締結要請に関する決議案を全員賛成で可決。同県議会での核実験停止決議は8回目
1962/12/23
スウェーデンのウプサラ大地震研究所が23日、ソ連核実験を記録。24日も2回記録
1962/12/24
日本原水協が原爆被爆者の生活救援金として100万円を原水禁広島協議会に贈る
1962/12/24
広島「折鶴の会」が広島原爆病院や広島大付属病院原爆病棟でクリスマスのつどいを開く
1962/12/24
日本各地の気象台、測候所が24日未明、ソ連核実験による異常微気圧振動を観測
1962/12/25
スウェーデンのウプサラ大地震研究所が25日、ノバヤゼムリャ地区で行われたソ連核爆発を記録。同研究所が記録した24回目の爆発
1962/12/25
ソ連核実験抗議航海から帰った広島女学院大客員教授アール・レイノルズ氏と夫人のバーバラさんが平和記念公園の原爆の子の像前で12時間断食
1962/12/26
西ドイツ・ミュンヘン市のハンス氏から原爆障害者の治療のため500マルク(約4万円)の小切手が広島市に届く
1962/12/27
ルーマニアのブカレスト市とブルガリアのソフィア市から広島市に平和を呼びかける新年メッセージが届く
1962/12/27
世界25カ国の著名人255人が原告で、米政府を相手取って起こした核実験中止要求訴訟で、コロンビア特別区連邦地裁が「核実験は合法」と請求を棄却。コロンビア特別区控訴審に上訴へ。原告は米のノーベル化学賞受賞者ライナス・ポーリング博士や英哲学者バートランド・ラッセル卿、浜井広島市長ら
1962/12/--
米のジャーナリストで中国に詳しいエドガー・スノー氏が近著「川の向こう側-今日の中国」の中で、「中国が3年以内に核実験を行い、1968年までには大量の核兵器を貯蔵するようになろう」と推測
1962/12/--
米の非米活動委員会が「平和のための国際的婦人ストライキ運動」(WISP)の創案者、ダグマー・ウィルソン夫人ら婦人14人と男性2人を喚問

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