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ヒストリー

ヒロシマの記録1961 11月


1961/11/1
「平和のための国際的婦人ストライキ運動」(WISP)初の行動日。500人が国連本部にデモ。ワシントンではホワイトハウスに800人
1961/11/1
核実験中止を願う米国内25都市の女性が「生存のための婦人同盟」を組織
1961/11/2
世界21カ国の原子物理学者800人が米英ソ仏4カ国政府に平和アピール送る。「力による国際紛争解決は、世界各国の責任ある全市民の行動で阻止できる」
1961/11/2
ケネディ米大統領が声明。「安全に必要になれば大気圏内の核実験を行う準備を整える」
1961/11/4
米政府原子力委員会が「ソ連は4日、ノバヤゼムリャ付近で核実験を行った」と発表。再開31回目
1961/11/4
呉市内の自治会や労組などでつくる原水爆禁止運動呉推進連盟が11万人の原水爆禁止署名を集める
1961/11/4
東大文学部の教授、助教授の有志50人が、あらゆる国に対しソ連の実験に追随することをやめ、軍縮の強力な推進を願うとの声明を発表
1961/11/5
内閣の放射能対策本部(本部長、三木武夫科学技術庁長官)発表。「5日朝、福岡地方に降った雨から約60万カウント(1,820マイクロ・マイクロキュリー)の放射能値を検出」。日本で検出した最高値
1961/11/5
VOA放送(ボイス・オブ・アメリカ)が、ソ連国民向けに一連の核爆発実験の事実を報道
1961/11/5
ソ連のタス通信が声明。「ソ連の実験回数は米英仏3国の実験回数の合計より少ない。ソ連は3国と同数の実験を行い、ソ連の実験回数と北大西洋条約機構(NATO)軍事ブロックとの不均衡を防ぐ権利を有する」
1961/11/6
国連総会が、核実験の自発的一時停止復活を要求したインドなど6カ国提出の決議案を採択。核保有4国は反対投票
1961/11/7
フルシチョフ・ソ連首相が、第44回革命記念日に西側記者団と会見。(1)核実験が健康に有害であることは科学者が立証している。しかし戦争で核爆弾を使うことに比べれば、危険度は何百万分の一も少ない(2)ソ連はもう50メガトン核爆弾を実験しない(3)地下核実験は金がかかるから実施するつもりはない
1961/11/8
国連総会本会議が米英提出の核実験停止協定交渉の即時再開を求めた決議案を可決
1961/11/8
ケネディ米大統領が記者会見で、「ソ連は米英両国による計125メガトンの核実験を上回る170メガトンを爆発させている」
1961/11/9
ケネディ米大統領とネール・インド首相が共同声明。「必要な査察、管理規定を伴った核実験停止協定を緊急に結ぶ必要がある」
1961/11/10
全日本父母会議(会員23万人)が「子供を『死の灰』から守る運動」を全国的に始めると発表。各国の父母に放射能が子供や子孫に与える悪影響を訴えて核実験反対の世界的世論を起こし、死の灰の恐ろしさを訴えた作文や絵を国連や核保有国の最高責任者に送る計画
1961/11/10
内閣の放射能対策本部が放射性降下物に含まれている核種を発表。大半がネプチウム、ジルコニウムなど半減期の短い元素だが、半減期の長いストロンチウム90をわずかながら検出
1961/11/11
マクナマラ米国防長官が現有兵力語る。(1)大陸間爆撃機数は1,700機(2)中距離弾道ミサイルポラリス80基を原子力潜水艦に装備(3)実戦用大陸間弾道ミサイルアトラス数基を国内に配備(4)就役艦艇約900隻。6隻のフォレスタル級空母にはメガトン級の核兵器を積んだ攻撃機55機搭載
1961/11/11
湯川秀樹京大教授が京都の第8回仏教徒会議で講演。「われわれは一刻も早く戦争のない世界をつくるよう最善の努力をすべきだ。現代のような『修羅』の時代には科学者、宗教家も枠にとらわれている時ではない」
1961/11/11
気象研究所の三宅泰雄博士らが「ストロンチウム90やセシウム137など死の灰によって、深海も急速に汚染が進んでいる」と海洋シンポジウムで報告
1961/11/12
核実験反対を訴えるためヨット、フェニックスでソ連ナホトカに向かい、入港を拒否されたアール・レイノルズ博士一家が広島市に戻る。「ナホトカに10マイルまで接近したが、ソ連船に取り囲まれ、入港は許されなかった。国連に行き運動することも考えている」
1961/11/13
米英両国が国連決議(8日)に基づき、ソ連に核兵器実験停止会議を再開するよう提案
1961/11/13
広島市原爆被爆者協議会(任都栗司会長)がソ連の超大型核実験に抗議し、広島原爆病院の入院患者の声を収録したテープなどを託した代表団をソ連大使館に派遣することを決める
1961/11/14
文部省が全国の国公私立大学長に「各大学で実施している放射能調査の結果発表は慎重に」と通達。学界内部には「通達は行き過ぎ」と批判も
1961/11/14
国連総会本会議が(1)核兵器を非合法化する協定をつくる特別会議の招集を求める(2)アフリカ大陸を非核武装地帯とする-との2つの決議案を採択。24日の国連総会本会議で成立
1961/11/14
自民党が核兵器禁止・平和建設国民会議(核禁会議)の結成大会に積極的に参加し、池田勇人総裁のメッセージを送ることを決める
1961/11/15
核兵器禁止・平和建設国民会議(核禁会議)が正式発足。東京の日本青年館に全労、日本健青会など27団体、約1,500人が集まる。議長に松下正寿氏(立教大総長)、副議長に和田春生(全労書記長)、平林たい子(作家)、桶谷繁雄(東工大教授)、若原譲(中小企業総連合副会長)の4氏、事務局長に寒河江善秋氏(日本青年問題研究会会長)。結成宣言「核実験再開という重大な時期にわれわれは階級、思想、宗教上の違いをこえ、人道主義にもとづいて核兵器禁止・平和建設国民会議を結成した。今後、核兵器を禁止し、自由で平和な社会建設に努力する」
1961/11/17
オーストラリア、セイロンなど6カ国が、国連総会第1委員会に核保有国拡大を防ぐ決議案
1961/11/17
大学研究用原子炉(仮称・京大研究用原子炉実験所)の大阪府泉南郡熊取町設置が本決まり。1955年に計画を決めて以来、建設地をめぐって四転五転した関西原子炉問題が6年ぶりに解決
1961/11/18
全日本父母会議(会員23万人)が東京・産経会館で、「死の灰から子供を守る全国父母集会」
1961/11/18
ソ連国防省の機関紙「赤い星」が、「ソ連は100メガトンの核弾頭を保有している」とのトルプコ将軍の論文を掲載
1961/11/19
英で核兵器反対を主張するデモ隊約200人が、トラファルガー広場に座り込む
1961/11/20
ABCCが健康診断料を積み立てた150万円を原対協に寄贈
1961/11/20
日本向けモスクワ放送が「米の原爆積載機B52が日本に基地を置き、核爆弾を積んで日本上空を哨戒している。日本は破滅的なロケット戦争に巻き込まれる」と非難
1961/11/21
米作家アイラ・モリス夫妻が提唱している生活困窮被爆者への「愛の送金運動」に生活保護法の壁。金を受け取れば、生活保護が打ち切られる恐れ。広島市がモリス夫妻に手紙
1961/11/22
広島原爆病院の重藤文夫博士が第3回原子爆弾後障害研究会で同病院開設以来5年間の業績を発表。死亡した原爆症患者は189人で、これまで多かった白血病が減り、胃がん、肺がんなどの悪性腫瘍が目立つ
1961/11/22
広島県議会の核実験禁止要求に米大使館が回答。「効果的な核停協定実現に向かって努力する」。中津井真議長が県会本会議で報告
1961/11/22
第3回原子爆弾後障害研究会開く。広島市の平和記念館に全国から医学者200人が参加。原医研の渡辺漸所長が致死量の放射線を浴びたマウスを骨髄移植で生存させた研究成果を報告
1961/11/23
ドゴール仏大統領が「独立保持のため独自の核兵器を保有する決意を変えない」と演説
1961/11/23
広島大名誉教授の故長田新博士のペスタロッチ研究の功績をたたえ、スイスに墓碑が除幕
1961/11/24
ソ連青年団体委員会訪日代表団(団長、バレンティナ・チトーバ副委員長)の5人が広島市を訪問。「核実験再開は国民に知らされ、職場、団体で討論した。戦争を防ぐ唯一の手段として再開を支持した。日本の新聞には核実験のため放射能障害者が出たという外電が載ったそうだが、全くのデマ」
1961/11/24
英紙イブニング・スタンダードが「仏は7日にサハラで小型原爆の秘密地下実験をした」と報道
1961/11/25
日本原水協が運動の基本方針を決める。(1)原水禁運動は特定の国またはブロックに偏してはならない(2)原水禁運動は人道主義の運動であり、特定の政党に従属しない-など
1961/11/28
米英ソ3国核実験停止会議がジュネーブで再開。ツァラプキン・ソ連首席代表が仏も加えた4カ国の核停条約草案を発表。(1)大気圏、宇宙、水中のいかなる核実験も停止する(2)相互監視のため当事国の探知機関を用いる(3)地下実験は全面完全軍縮協定実施のための国際管理機構ができるまで行わない(4)協定は米英仏ソ4カ国の調印で発効し、希望国の後からの参加を認める-の4カ条。ディーン米代表は「有効な管理を伴わない実験禁止はなんら禁止とはならない」と反発
1961/11/28
アジア歴訪中の池田首相がサリット・タイ首相と共同声明発表。「すべての核兵器実験の即時停止と、当事国が適切な国際管理と査察制度を通じて核実験を禁止する国際協定が緊急である」
1961/11/30
世界宗教者平和会議日本協議会が発足(「平和運動20年運動史」)
1961/11/--
スチブンソン米国連大使とゾーリン・ソ連国連常任代表が国連総会に提出する米ソ軍縮共同決議案の草案を交換。9月に共同宣言した軍縮8原則を承認しているものの、新しく設ける軍縮委員会の構成で食い違う

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