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ヒストリー

ヒロシマの記録1961 12月


1961/12/1
米英ソ3国核実験停止会議が、ディーン米、ゴッドバー英両首席代表が帰国したため、再開後3回の会議で行き詰まる
1961/12/2
台湾初の研究用原子炉が清華大に完成。出力1,000キロワットのスイミングプール型
1961/12/2
日本原水協が東京・共立講堂に2,000人を集め核実験反対中央集会開く。米、ソ、仏大使館に核実験中止の決議文手渡す
1961/12/3
米政府原子力委員会が「ネバダ実験場で小型の地下核実験を3日行った」と発表。爆発の規模はTNT火薬2万トン相当
1961/12/4
米が国連第1委員会に大気圏外の平和利用に関する決議案を上程。(1)国家の主権を大気圏外に延長すべきでない(2)天体探検は特定国家に限定すべきでない
1961/12/4
国連総会本会議が核兵器の拡散防止を目的とする2つの決議案を採択。(1)核兵器を持たない国が核兵器を製造したり、他国のために自国領土に核兵器を貯蔵しないよう国連の調査を求める決議(2)核兵器保有国が核兵器の管理権、製造法の情報を他国に与えない。核兵器を持たない国が核兵器を製造したり、その管理権を手に入れることを防ぐ国際協定締結を要求する決議
1961/12/5
日米原子力産業合同動力会議が東京で始まる。8日まで。米政府原子力委員会の代表が「米は濃縮ウラン貸与の方針を改め、商業ベースで必要量を売却する。日本に供給する核燃料から抽出されたプルトニウムは買い戻さない」との新原子燃料政策を発表。三木武夫科学技術庁長官は記者会見で「米の政策変更は日本の原子力平和利用全般に大きな影響を及ぼす。原子力発電コストも計算し直さなければならない」
1961/12/9
米政府原子力委員会が「ソ連は核兵器の軽量化に成功した」と発表
1961/12/9
フルシチョフ・ソ連首相がモスクワの第5回世界労組大会で「ソ連は100メガトン以上の水爆を保有」と演説
1961/12/9
核禁広島県民会議の結成準備会開く。広島市の平和記念館に、流川教会の谷本清牧師、全労広島会議の執行部、大学教授ら20人が出席。1962年1月発足へ
1961/12/10
米政府原子力委員会がニューメキシコ州カールスバッド付近の地下360メートルの地点で核実験「ノーム計画」を実施。熱エネルギー利用の可能性、岩塩内での核爆発効果などの資料を得るのが目的。実験後、放射能が地表に漏れ、同州の自動車道路が一時通行禁止に
1961/12/11
1954年3月のビキニ水爆実験当時、サンゴ海で漁船に乗り込んでいた久保隆さん(三重県南勢町)が急性骨髄性白血病で死去。27歳。水爆実験の影響の疑いも。三重県衛生部は「航海日誌を基にする限り、ビキニ水爆の関係は薄い」と発表
1961/12/14
ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙が「米は英に共同核実験を提案」と伝える
1961/12/16
広島市婦人会連合会(村上安恵会長、会員2万人)が核禁広島県民会議への参加を拒否。「政治的に利用されやすい団体には入らず、独自の運動を続ける」
1961/12/17
米政府原子力委員会が「17日ネバダで小型の地下核実験を行った」と発表
1961/12/19
米政府原子力委員会がソ連核実験の放射能白書を発表。(1)東西の核実験競争でソ連は、総爆発力、核分裂物質生成およびストロンチウム90発生量のすべての分野で米英を追い越した(2)来年生まれる子供に対する放射能の影響は30年間および70年間のどちらをとっても米政府の危険水準をはるかに下回る(3)小児甲状腺がんの原因となるヨウ素131の量も危険量以下
1961/12/20
国連総会本会議が18カ国新軍縮委員会の設置決議案を採択
1961/12/20
米作家アイラ・モリス夫妻が生活困窮被爆者に対する「愛の送金」計画を断念。生活保護法が壁になったためで、「送金の対象を生活保護を受けていない低所得者層に変更したい」と浜井広島市長へ手紙
1961/12/22
米政府原子力委員会が「22日ネバダ実験場で小型の地下核実験を行った」と発表
1961/12/22
米の大気圏核実験の候補地として、米英両政府がクリスマス島を検討
1961/12/22
ケネディ米大統領とマクミラン英首相が共同コミュニケを発表。「ソ連の大気圏内実験に対応するため、実験の準備をする必要」
1961/12/24
原爆医療法の特別被爆者の適用範囲(2キロ)が3キロに拡大へ。1962年度予算の復活折衝で認められる。被爆後2週間以内に市内に入った人への適用にも道
1961/12/25
バーバラ・レイノルズさんと長女のジェシカさんが広島市の原爆の子の像の前で12時間の平和祈念断食。断食のそばで広島「折鶴の会」や原爆病院クリスマスのつどいのメンバーらが署名を呼びかける
1961/12/26
フルシチョフ・ソ連首相と安井郁日本原水協理事長が会談。安井理事長は会談後「核戦争を阻止するため各国の平和運動が努力すべきとの認識で一致」と語る
1961/12/29
米国防総省が大気圏核実験を実施するための第8合同機動部隊の編成を発表
1961/12/--
日本原水協の安井郁理事長が国際レーニン平和賞の選考委員に就任
1961/12/--
峠三吉氏の「原爆詩集」に大木正夫氏が曲をつけたカンタータ「人間をかえせ」第一部を発表(「ヒロシマ・25年」「原爆被災資料総目録・第2集」)
1961/12/--
米で核シェルターの建設ブーム。ケネディ大統領が5月に発表した第2回年頭教書で「民間防衛計画を促進すべき」と呼び掛けたのがきっかけ
1961/12/--
東ドイツ・ドレスデンの子供会からハトや折りづるの絵を染め抜いた壁掛けが原水禁広島協議会の森滝市郎理事長に届く。文通を希望する手紙が添えてあり、森滝理事長が広島「折鶴の会」に贈る

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