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ヒストリー

ヒロシマの記録1960 2月


1960/2/1
お年玉付き年賀はがき寄付金1,000万円と、大分県、市、別府市の助成など500万円の計1,500万円で原子爆弾被爆者別府温泉利用研究所が完成、落成式。2日から利用開始。第1陣は広島県内の被爆者13人と大分県内の2人で九州大温泉研究所の八田秋教授らの治療受ける。設置、運営は財団法人大分県原子爆弾被爆者対策協議会
1960/2/2
アジア・アフリカ25カ国が仏のサハラ核実験に反対の書簡をハマーショルド国連事務総長に提出
1960/2/3
アイゼンハワー米大統領が記者会見で「核兵器を西欧同盟国に与えるため、現行米原子力法を改正したい」と表明。「信頼できる核実験停止協定がソ連との間に結ばれれば、他の諸国は原子兵器を譲渡、売却、贈与の形でしか入手できなくなる。米はソ連がすでに知っている原子力情報すら同盟国に与えることができない。なぜこの情報を利用しないか私は理解に苦しむ」
1960/2/5
首相の諮問機関である放射線審議会が放射線許容量の新基準を答申。従来の三分の一以下に
1960/2/8
広島「折鶴の会」代表が3,700人余の仏サハラ核実験反対署名を集め「ドゴール大統領に私たちの声を届けて」と浜井広島市長に託す
1960/2/8
1955年に広島の被爆者らが提訴していた「原爆訴訟」の第1回口頭弁論が東京地裁で5年ぶりに開かれる。「原爆投下は国際法違反かどうか」をめぐり、原告側は法政大教授、日本原水協理事長の安井郁氏、被告の国側は東大教授の横田喜三郎氏に鑑定を依頼へ。国側主張「原爆投下が戦争を早く終わらせ、より多数の人命殺傷を防ぐために用いられたのなら、国際法違反とは言えない」
1960/2/9
日本原水協が東京・芝で第7回全国総会。第6回原水爆禁止世界大会の開催地に東京を決定。期間は8月2日から8日間。被爆者救援運動強化のため、中村いく地婦連常務理事、森滝市郎原水禁広島協議会理事長、草野信男東大伝研助教授、小佐々八郎長崎市議会議員、石井金一郎広島女子短大助教授、小西平三郎全造船財政部長の6人で救援委員会をつくる-など決定
1960/2/11
米英ソ3国ジュネーブ核実験停止会議で米が新提案。小規模の地下核実験を除くすべての核実験の禁止。ソ連代表は拒否
1960/2/11
東京・神田の学士会館で第1回原子力研究総合発表会。日本原子力学会など28学会の主催
1960/2/12
平塩五男広島県議会議長が8月6日に予定されている原爆被爆者大慰霊祭に「被爆15周年でもあり、皇太子をお招きしたい」と表明
1960/2/13
ドゴール仏大統領がサハラ砂漠タネズルフトで原子装置の爆発実験に成功と発表。プルトニウム型。爆発力はTNT火薬6、7万トン(3月16日、仏国防省が発表)。核実験は米英ソ3国の自発的停止以来16カ月ぶり。日本政府がきわめて遺憾と抗議。ロンドンでバートランド・ラッセル卿ら核武装反対運動の代表約200人が、仏大使館に抗議デモ。ソ連「仏政府が国際世論を無視して原爆実験を行ったことは遺憾に堪えない」と声明
1960/2/15
モロッコ政府が仏の核実験に抗議し外交協定破棄を通告
1960/2/15
原水爆禁止広島市協議会(会長、浜井広島市長)が仏の核実験に抗議決める
1960/2/15
日本原水協が在日仏大使館に核実験強行で抗議
1960/2/15
平塩五男自民党広島県連総務会長(広島県議会議長)が「8月6日は県主催の大慰霊祭を超党派で行うよう準備が進められているので、新日本協議会から共催の申し入れがあっても党としては断る」
1960/2/15
中国新聞が新日本協議会を初めて右翼系団体と報道。同団体の責任者は元内務大臣、警視庁特高部長の安倍源基氏
1960/2/16
仏政府がジュネーブの核実験停止会議に参加する考えはないと強調
1960/2/17
アイゼンハワー米大統領が仏核実験などで見解。「仏核実験は国家主義に動かされている国としては自然なこと。しかし、核兵器所有国がさらに増える前に国際的軍備管理組織を創設する努力が実を結ぶことを希望」
1960/2/17
広島県、市合同の原爆慰霊祭問題を協議する県、市、県議会、市議会の4者代表者会議開く。慰霊祭を午前8時15分を中心に開きたいとの県議会の意向をめぐり結論を持ち越す
1960/2/17
日本原子力産業会議が前年秋に欧米各地に派遣した原子力船調査団が報告書。「すみやかに一元化した推進機関を確立し研究開発機関を設けることが先決」
1960/2/18
気象庁観測部が17日、東京に降った雨から異常に高い放射能を検出。サハラ核実験の影響
1960/2/26
8月6日の原爆死没者慰霊祭が広島県、市の共催と決まる。「合同」ではなく「共催」とすることで、午前8時15分をどちらの行事に取り入れるかを打開
1960/2/--
新日本協議会の殉国者慰霊顕彰国民大祭、世界平和祈念国民大会が予定通り8月6日を中心に広島市で開催決まる
1960/2/--
日本原水協の被爆者救援国民募金で約800万円が集まり、全国の被爆者500人に贈る
1960/2/--
ソ連の文学専門誌「外国文学」が1955年に「広島の詩編纂委員会」のつくった「広島の詩」を紹介。大原三八雄広島女子短大教授の元に届く
1960/2/--
劇団、大阪市職員組合演劇研究会が「黒い雨」を上演。鎌田康平氏作(「原爆被災資料総目録・第2集」)
1960/2/--
劇団、石巻市民劇場が「ピカドン先生」上演。いしじま・つねお氏作(「原爆被災資料総目録・第2集」)

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