×

ヒストリー

ヒロシマの記録1960 6月


1960/6/1
「欧米人は広島を破壊された町というだけで通り過ぎようとしている。しかし、再生の町としてとらえ、その裏に原爆症におびえる人々がいることを広く伝えたい」。テレビロケで広島入りしたロベルト・ユンク氏が中国新聞インタビューで答える
1960/6/3
原水爆禁止広島市協議会(会長、浜井広島市長)が平和記念館で緊急常任理事会。安保問題、岸内閣総辞職、国会解散などには触れず、被爆者救援、核武装・核実験禁止、全戦争反対を基本方針とする。6日の理事会で平和行進は基本方針をはずれない範囲で参加へ
1960/6/3
全日空が広島原爆病院と広島赤十字病院に北海道のスズラン慰問。1958年以来、3回目
1960/6/4
原水禁広島協議会県内平和大行進のトップを切って県北コースが広島県比婆郡東城町からスタート
1960/6/4
安保阻止統一行動日。広島市で安保条約改定反対共同声明広島世話人会、平和と学問を守る大学人の会、広島平和問題談話会、広島文学会、広島キリスト者平和奉仕会の5団体が平和記念館で「新安保反対・平和と民主主義を守る抗議集会」。集会に続き抗議デモ
1960/6/5
広島の被爆者114人が温泉治療のため江津市有福温泉を訪れる
1960/6/7
米ニュージャージー州マックガイア基地で防空用ミサイル「ボマーク」の核弾頭が爆発、周囲に放射能が拡散。米空軍当局は「放射能の拡散は少量で公衆の放射能汚染の危険はない」と発表
1960/6/9
アイゼンハワー米大統領のハガチー新聞係秘書に原爆被害者の不満を訴え、訪日中止を呼びかけようと広島県被団協の被爆者3人が東京へ出発。相良心宗氏、吉川清氏、日詰忍さん。「広島の原爆慰霊碑の前で過ちは繰り返しませんという誓いをたてない限り、ア大統領は来日を遠慮するべきだ」
1960/6/9
ハワイから日本へ向かっていたアール・レイノルズ博士らのヨット、フェニックスが横浜港に入港。4月26日ホノルルを出港
1960/6/9
核武装禁止と軍備全廃、原水爆の全面禁止をめざす日本原水協の「全国1万キロ平和大行進」沖縄-東京コースが広島市に到着。県内コースも合流し約4,000人が市内行進。ロベルト・ユンク氏も参加。原爆慰霊碑前の歓迎集会では浜井市長、森滝市郎原水禁広島協議会理事長らがあいさつ。ユンク氏があいさつの中で「アイゼンハワー米大統領訪日反対は、原水爆禁止を成功に導く和解と共存の精神に反する」と日本原水協の方針を批判
1960/6/10
日本原水協が広島市の平和記念館で全国代表者会議。病気で欠席した安井郁理事長を除く本部役員のほか全国29府県の代表、原水禁広島協議会のメンバーら100人が出席。「新安保条約の阻止を勝ちとることは原水禁運動に課せられた緊急の課題であり、新安保粉砕のために全組織をあげて戦う」の非常事態宣言を採択。スローガン「安保改定阻止、岸内閣退陣、国会解散、アイク訪日反対」
1960/6/13
広島訪問中のロベルト・ユンク氏が今堀誠二広島大教授と対談。中国新聞に掲載。「ヒロシマは歴史的な場所であることを忘れてもらいたくない。ヒロシマで歴史が変化したことを強く意識してもらいたい」
1960/6/14
ハワイ・真珠湾で米原潜サーゴに液体酸素を補給中、作業員の失火で火災。艦尾部が水没、修復に約半年かかる
1960/6/14
広島市が広島平和記念都市建設法施行10周年を記念し製作していた記録映画「平和記念都市建設十年のあゆみ」が完成、試写会。上映時間20分
1960/6/19
終戦の混乱期に朝鮮半島へ渡った広島の原爆孤児友田典弘さんが広島市などの尽力で帰郷。市内矢賀町の祖母、西田トラさんと対面。「小学校4年の時、袋町小で被爆、母と弟は行方不明に。自宅に下宿していた朝鮮人が『独りぼっちでかわいそう』と1945年9月末に現在の韓国へ。製菓業を手伝いながら暮らしていた」。市援護課の斡旋で広島市内の菓子屋に就職
1960/6/20
広島市保健局長の志水清博士が「放射能とがんの関係」をまとめる。1959年の広島市のがんによる死者は563人、うち被爆者健康手帳保持者が21%の118人
1960/6/21
米のヒロシマ・ピース・センター協力会が広島市戦災児育成所出身の大学生に252ドル(約9万円)を送付。教育資金制度が正式スタート
1960/6/27
ノーマン・カズンズ氏を中心とする米のヒロシマ・ピース・センター協力会から5人の原爆孤児の奨学資金にと1,592ドル(57万2,000円)が浜井広島市長に届く。孤児の成長に伴い精神養子の養育資金対象者が減り、新しく教育基金の設置を計画。その第1回
1960/6/29
平和記念館1階集会室の緞帳を東芝商事広島支店が寄贈。6羽の千羽づるに平和の光がそそぐデザイン
1960/6/30
広島市原爆被害対策課が原爆被爆者健康手帳の交付状況まとめる。総数8万3,867人、市人口の19%。年齢別では14~23歳が最も多く1万3,867人(21.5%)、職業別では無職が5万49人(59.6%)
1960/6/--
フランス在住の作家エディタ・モリスさんの作品「ヒロシマの花」が米欧で反響。「これまでに米、英、仏、西ドイツ、スウェーデンで出版され英BBC放送も朗読を放送」とエディタさんから広島「憩いの家」に便り
1960/6/--
原対協がお年玉付き年賀はがき収益金の配分金340万円で製作していた被爆者検診車が完成

年別アーカイブ