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ヒストリー

ヒロシマの記録1959 4月


1959/4/1
エックス線やアイソトープの利用に伴う障害防止のため、労働省が「電離放射線障害防止規則」を実施
1959/4/2
少女バイオリニストの鰐淵晴子さんが広島原爆病院で、約200人の患者を前に歌と演奏の慰問
1959/4/2
ソ連科学アカデミーのネスメヤノフ総裁が年次大会で述べる。「地球付近に2条の強力な放射帯が存在していることが確かとなったが、いずれも核爆発によってできたもの。核爆発の結果、高空に強力な帯電粒子流が作られ、地球付近の宇宙を汚染していることを立証している」。北京放送がタス通信の報道として伝える
1959/4/3
広島市と原対協が広島大心理学教室の協力で、被爆者の心理調査を開始。被爆者健康手帳交付者のうちから1万人を無作為抽出し、被爆者健康診断を受けない理由のほか、健康状態や心配事など10項目で被爆者心理を解明
1959/4/3
日本原子力研究所が東海研究所内に原子炉研修所を開く(「近代日本総合年表」)
1959/4/6
英仏西ドイツなど欧州8カ国の核兵器反対委員会代表が西ドイツ・ミュンヘンで欧州核兵器反対同盟を結成。核兵器実験停止を呼び掛け
1959/4/6
ベルリン市の西ドイツ平和委員会事務局長ハインツ・ビルマン氏から広島市議会に「西ドイツの各種平和団体は3月3日以来、一斉捜査を受け、すべての平和活動を禁止された」と便り。西ドイツ政府は「平和団体が平和運動に名を借りて左翼運動を進めた」
1959/4/6
「釈尊2500年を賛える会」広島大会に出席のタイ、セイロン、インドなど東南アジア5カ国代表22人が原爆慰霊碑に参拝
1959/4/8
日英原子力発電炉技術援助協定が調印(「ヒロシマの記録」)
1959/4/8
三原市原爆被害者の会の小野田百合子会長がジュネーブの米英ソ3国核実験停止会議に「3国はじめ世界各国は原水爆の即時、永久、無条件禁止の協定を結んで下さい。私たちは実験の中止を血の叫びで訴え続けております」との訴願文を送付
1959/4/12
ニューヨーク・タイムズ紙が「米は今年、NATO諸国の広範な核武装計画を推進する」と報道
1959/4/12
ノーベル賞受賞者の米化学者ライナス・ポーリング博士が、カリフォルニア工科大のゼミナールで「これまでの核実験により、今後、被害者が300万人以上生じるだろう」
1959/4/13
アイゼンハワー米大統領が、核実験停止問題でフルシチョフ・ソ連首相に手紙を送付。高度50キロ以下の大気圏内の核実験禁止を新提案する。20日にア大統領が内容を公表。国際監視機構の設置をめぐり行き詰まっている核実験停止会議の立て直しを狙う
1959/4/14
マッコーン米政府原子力委員長が、東京で開会(5月5~22日)の国際見本市に出品する原子力装置の内容を発表。核融合反応装置の模型や沸騰水型動力炉、世界初の原子力商船サバンナの原子力機関の模型など
1959/4/16
原爆被害者福祉センター広島平和会館が広島市大手町8丁目に完成し、開館祝賀会。日本被団協と原水禁広島協議会が世界各国や国内の援助資金で原爆被害者の憩いの場所と原水禁運動の拠点にと前年12月26日着工、3階建て、総工費700万円
1959/4/17
ジュネーブの米英ソ3国の核実験停止会議で、英が提案した核実験永久停止に関する条約前文の草案を承認。草案は核兵器の最終的廃棄と禁止、有効な管理制度による核実験永久停止ならびに原子力を平和目的のみに使用することなどをうたう
1959/4/18
ソ連の科学者チモフェイエフ、シモチェンコ両氏がソ連科学アカデミーの原子専門誌(18日発行)で「世界初の高圧原子力電池の研究に成功」と発表
1959/4/20
米ヒロシマ・ピース・センター協力会から広島市に精神養子打ち切りの手紙が届く。「精神養子計画は一応これで募集を閉じる。協力会では別途に新しい教育資金制度の実施を研究中」。1950年以来、同市を通じて各施設に送られた養育資金総額は1,945万2,000円
1959/4/20
広島大理学部放射能研究室が1954年4月20日から降雨の放射能測定を始めて満5年。この間、米英ソ3国の相次ぐ核実験の影響で、1リットル当たり毎分1,000カウントを超える放射能の検出が22回
1959/4/21
ソ連政府が米政府に、西ドイツの核武装に抗議する覚書を送付。米国務省スポークスマンは22日「内容的に全く偽善的なものというほかない」と全面拒否
1959/4/22
日本学術会議の総会で原子力基本法の厳守を政府に申し入れることを決める。「自主、民主、公開」の同法3原則が破られる恐れもあると申し入れ提案を採択
1959/4/24
フルシチョフ・ソ連首相が核実験停止問題でのアイゼンハワー米大統領提案(地上50キロ以下での核実験停止案)に対する回答書簡。「超高空でも有害」と、すべての核実験停止を呼び掛け
1959/4/27
愛知県・淑徳高校の柳五郎教諭が修学旅行の途中、広島原爆病院に油絵を寄贈
1959/4/27
島根県衛生研究所が26日夕から27日午前中に松江地方に降った雨から1リットル当たり毎分2,930カウントの放射能を検出。「過去の核爆発の放射能が上空にたまり、次第に地上へ降りているため」と推測
1959/4/27
米のマクタ博士が米科学アカデミー年次会議で「放射性チリの落下は北半球温帯地方に集中」と発表
1959/4/28
マクミラン英首相が下院で放射性降下物、特にストロンチウム90の人体に及ぼす影響について報告。「昨夏以来、英の降雨中の放射性ストロンチウム90の量は2倍になっている。しかし今のところ直ちに対策を必要とするまでには至っていない」
1959/4/29
広島「折鶴の会」が「原爆の子の像」除幕1周年記念行事のため広島市内で街頭募金
1959/4/30
浜井信三氏が広島市長に返り咲き(「広島新史・年表編」)

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