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ヒストリー

ヒロシマの記録1959 7月


1959/7/1
科学技術庁の放射線医学総合研究所(塚本憲甫所長)が千葉市に開所
1959/7/2
日本放射線影響学会が発足。東大医学部講堂で創立総会。会長に都築正男日赤中央病院長を選任
1959/7/2
日本とカナダ間の原子力一般協定をオタワで調印。原子力平和利用の協力条件などを規定
1959/7/2
衆院予算委員会で安保条約改定での核兵器持ち込み問題について、岸首相が答弁。「政策的には核兵器は一切持ち込ませないことを国会で答弁している。ただ憲法解釈論として、いかなる核兵器も持てないというのは当たらない」。3日の参院予算委員会では「私がいくら核兵器は持ち込まないと言っても、現行の安保条約では何らの法的根拠がない。その不安を除くためにも、はっきり核兵器の持ち込みを拒否し得る体制を整えようと思っている」
1959/7/4
「新しい文化講演会」(中国新聞社、ラジオ中国主催)に出席する広島出身の作家阿川弘之、俳優木村功、雑誌「酒」編集長佐々木久子氏ら7人が広島市を訪問。原爆慰霊碑に参拝
1959/7/7
広島市保健局長に発令された志水清氏(前島根県衛生部長)が松江市から着任。妻子は広島で被爆
1959/7/7
米ルイジアナ州ベークスデール空軍基地で、起爆装置をつけない核兵器を積んだ空軍輸送機が離陸直後に墜落。機体は炎上、乗員7人は軽傷。基地当局「核兵器は爆発せず、放射能の危険もない」
1959/7/7
群馬大工学部分析化学教室が、全国14カ所の海水中のセシウム137は前年の2倍に増加-と発表
1959/7/8
学校法人立教学院が横須賀市武山に建設を計画している教育用原子炉の設置を原子力委員会が許可
1959/7/9
広島県議会が第5回原水禁世界大会への県費補助金30万円の予算案を、自民党の反対で全額削除。自民党「大会が平和運動の美名に隠れて安保廃棄を狙った政治運動を行うことは遺憾」。原水禁広島協議会は大会補助金50万円を申請(6月8日)、県も「大会は純粋な平和運動で原水爆禁止は人道上の立場からも県民が望んでいる」と30万円を計上していた。原水禁広島協議会「特定政党の立場にこだわって県民の意思を無視。大会の成功に重大な支障を与えるような議決が行われたのは遺憾」。広島県被団協「率先して世界大会を支持すべき立場にある県議会が何らの協力態度も表明せず、わずかの補助金を否決したことに、被害者はやるかたない悲憤を感じる」
1959/7/10
広島大の文学、教育、政経、医学部各自治会、教養部学友会、広島女子短大学生自治会が「広島学生帰郷活動センター」を結成。帰郷先で「日本の原水爆基地化反対」「安保条約反対」などの署名カンパ運動を展開へ
1959/7/10
日本原水協の安井郁理事長が広島市役所で記者会見し、広島県議会の補助金削除に遺憾の意を表明
1959/7/10
広島市段原本通商店街が段原大畑町の広島東署段原東派出所前の空き地で慰霊碑の建立に着工。段原、比治山地区15カ町の原爆犠牲者1,000人をまつる
1959/7/11
広島県青年連合会が臨時大会を開き、2派が別々に開く青年祭を認め、互いに協力する形にすることを申し合わせ。会長に田中享氏を再選。しかし、その後一本化はならず、22日、2派の話し合いは打ち切り。県青連が分裂状態
1959/7/13
浜井広島市長が、NATOの核ロケット基地建設に反対している西ドイツ・ドルトムント市のコイニッヒ市長に原水禁世界大会と平和式典に招待状を送る。21日、同市長から参加の電報
1959/7/14
米海軍で初の原子力巡洋艦ロングビーチがマサチューセッツ州クインシーで進水
1959/7/14
原水禁世界大会への県費補助金削除問題で、自民党広島県連が東京で広島県出身の衆参両院議員と協議。「原水禁大会という純粋な平和運動を政治的に利用しようとする態度は不当」と日本原水協を非難。全国の自治体が大会寄付金を再検討するよう自治庁に申し入れることを党本部に要望
1959/7/15
広島在住の外国人宣教師団(代表、メアリー・マクミラン広島女学院大教授)が原水禁世界大会に参加の声明を発表
1959/7/15
広島市、市議会の首脳部会談で、原水禁広島市協議会に対する事務助成金の議会提案見合わせを決定。原水禁世界大会は関係局の既定予算で賄うことに
1959/7/16
広島県青年連合会が広島県議会の平塩五男議長に、原水禁世界大会への県費補助金削除問題で決議文を提出。「削除は遺憾。特に口火を切った自民党県議団の反省を求める」。平塩議長「原水爆禁止運動そのものには異論がないが、大会の性格や内容をみると全県民がこぞって参加しかねる状態にある」
1959/7/16
広島県議会の原水禁世界大会への県費補助金削除に関連し、自治庁が地方自治体の補助金問題調査に乗り出す動きがあることについて、日本原水協の理事会が政府に抗議を決定
1959/7/16
広島県佐伯郡大野町の臨時町会が原水禁世界大会の支持を決議
1959/7/17
石原幹市郎自治庁長官が広島県議会の原水禁世界大会への県費補助金削除問題で閣議に報告。「地方自治法の建前から地方議会の議決について中央が口を差しはさむことはできない。しかし理事者側が補助金などを提案する場合、対象が非常に政治的なものであるなど行き過ぎがあれば注意することはできる」
1959/7/17
広島県安芸郡坂町臨時町会で、議員提案の「原水爆禁止と国内核武装反対」「原水禁世界大会と平和大行進への協力」を決議
1959/7/18
和歌山県教委が各高校長に「政治色の濃い原水禁世界大会への高校生の参加はできるだけ許可しないよう」口頭で指示。県高教組などの抗議で20日、県教委は「個人資格での参加はやむを得ない」
1959/7/19
東洋大の学生が同大学生自治会の決定に基づき、広島市内で「原水禁世界大会が政治的に利用されてはならない」と通行人に呼び掛け
1959/7/20
原子燃料公社東海精錬所で、鳥取県人形峠で採掘した人形石の粗精錬を開始。国産金属ウラン生産のスタートを切る
1959/7/20
日本原水協が自治体助成金調査で政府、自民党に抗議声明。「原水禁世界大会に地方自治体が支出している助成金の実態を調査するよう指示したことは原水禁運動を圧迫するものである」
1959/7/20
大原博夫広島県知事が記者会見で原水禁世界大会への不参加を表明。広島県議会の県費補助金削除に関連し「議会が民主的なルールで補助金を削除したことは議会として最上の意思決定であり、私の立場として大会に関係することは差し控える」
1959/7/21
原水爆禁止竹原協議会が総会で、原水禁世界大会への代表30人派遣と1戸10円募金を決定
1959/7/21
ラジオ中国が原水禁世界大会に望む市民の声を収録する街頭録音を広島市堀川町のキリン・ビアホール前で実施
1959/7/21
米が造った世界最初の原子力商船サバンナがニュージャージー州カムデンで進水
1959/7/21
今堀誠二氏著の「原水爆時代上」が三一新書から発刊。「同下」は1960年8月6日に発刊(「奥付」)
1959/7/21
自民党が山形市で七役会議を開き、広島県議会が決定した原水禁世界大会への県費補助金削除について「支出拒否支持」を決定。同党の全国都道府県連に原水協の安保改定反対の動きに警戒するよう通知
1959/7/21
日本原水協が原水禁世界大会について声明を発表。「国民の悲願である原水爆禁止を実現するため核武装、海外派兵の道を開く安保改定に反対するのはヒューマニズムの立場から当然」
1959/7/22
全国都道府県議会議長会が東京での臨時大会で、原水禁運動に関して決議。「安保改定という国内政治の問題を、だれも反対できない原水爆禁止運動に結び付けることは遺憾で、平和運動の政治色をぬぐい去るべきである」。平塩五男広島県議会議長が提案
1959/7/23
日本原水協が全国理事会で原水禁世界大会に臨む4項目の基本的態度を再確認。(1)世界大会の中心議題が安保改定反対であるかの印象を与えているので誤解解消に努める(2)大会で安保問題を論議するのは同条約改定が核兵器の国内持ち込み、海外派兵の道を開くとの角度からである(3)原水禁運動はヒューマニズムの立場に立っている。ヒューマニズムと対立する戦争、核兵器実験賛成などの政策は批判すべき(4)禁止運動の真の公正は国内的にはあらゆる政党、国際的には米ソ両陣営のいずれにも属さず、またいかなる政党、陣営といえども原水爆の禁止政策に対してはこれを支持する
1959/7/24
井野碩哉法相が閣議で原水禁世界大会について「この大会に対する日本共産党の浸透状態は極めて活発」と公安調査庁の調査を報告。対策を早急に打つべきと主張
1959/7/24
原水禁広島協議会の森滝市郎理事長が記者会見。「原水禁世界大会ではヒロシマの声として『原子力時代の新たな道徳体系の確立』を世界の人たちに特別提案し、大会宣言の中心にしたい」と語る。「原爆を生み出した近代文化は『力の文化』ともいうべきで、方向転換しない限り生き延びることはできない。その新しい方向は『愛の文化』または『慈の文化』に求められる」
1959/7/24
ジュネーブの核実験停止会議の米代表団が「米英ソ3国は将来発足する核実験停止査察機構の本部をウィーンに置くことで合意した」と発表
1959/7/24
長崎市議会運営委員会が第5回原水爆禁止世界大会へ市議会代表5人を送ることを決定(「長崎新聞」)
1959/7/24
島根県が原水爆禁止運動世話人会から要求のあった原水禁世界大会への補助金10万円の県費を支出しない方針を決定
1959/7/24
作曲家の呉泰次郎氏から平和の祈りを込めた自作曲「アベ・マリア」の楽譜が中国新聞社に届く。「原爆犠牲者の霊にささげたい」
1959/7/24
自民党広島県議会議員会が、総会で原水禁世界大会に自民党議員は参加しないことを申し合わせ。同党広島県連も「全面支援」と県連役員、所属議員、党員の不参加を決定
1959/7/24
北村一男新潟県知事が同県原水協会長辞任を決める
1959/7/25
社会党の曽祢益国民運動委員長が原水禁運動の進め方について同党の態度を表明。「日本原水協が安保条約改定反対問題と取り組むことは当然で、これを偏向と決めつけることは自民党の党利党略。地方自治体にまで圧力を加えることは地方自治に対する干渉である」
1959/7/25
キューバ革命の指導者、チェ・ゲバラ少佐が原爆慰霊碑に参拝、原爆資料館を視察(7・26、1969・4・9、1975・7・31、「増補ヒロシマの記録・被爆40年写真集」)
1959/7/26
島根県連合婦人会(並河貞子会長)が緊急役員会で、同県原水爆禁止運動世話人会からの脱退と原水禁世界大会への不参加を決める。「日本原水協の活動に政治的色彩が強くなった」が理由
1959/7/27
日本原水協の安井郁理事長ら代表が自民党の川島正次郎幹事長と会見。「原水協は政治的に偏向」とする自民党の見方に対し、「安保反対は変えられない」と説明
1959/7/27
長崎市議会の自民党が原水禁世界大会への参加見送りを決定
1959/7/27
広島県安佐郡佐東町議会が原水禁世界大会の支持を決議。広島県内では広島、呉、三原、尾道、三次の5市と佐伯郡大野町、五日市町、安芸郡坂町、矢野町、府中町の5町の計10市町議会が大会支持を決議
1959/7/27
埼玉県議会が原水禁世界大会への代表派遣取りやめを決定
1959/7/27
長崎市議会の保守系3会派が、第5回原水禁世界大会への議員派遣を中止する。同市議会では第2回以降、党派を超えて代表を派遣していた。7月29日には、長崎青年団連合会も代表派遣中止を決める(「長崎年表」)
1959/7/27
立命館大学軽音楽部が広島市を訪問。原爆慰霊碑前と広島赤十字病院で演奏
1959/7/27
ニクソン米副大統領がレニングラードでソ連の原子力砕氷船レーニンを見学
1959/7/28
愛知県豊橋市の少女、鈴木稲子さんが平和を願って折った8,000羽の折りづるをインド大使館のシン大使に手渡す。ネール首相に寄贈へ
1959/7/28
長崎原爆病院に入院中の長崎市十人町、無職平山芳子さんが肝機能障害で死去。46歳。同県内でこの年20人目の原爆犠牲者
1959/7/29
愛媛県議会の近藤広中議長が「原水禁世界大会に補助金を出さない」と語る
1959/7/29
長崎市青年団が原水禁世界大会に代表派遣しないことを決議
1959/7/29
東京都議会の自民党が原水禁世界大会への不参加を決定
1959/7/29
広島県地域婦人団体連絡協議会が原水禁世界大会に「中立の立場で参加する」との声明を発表
1959/7/29
山口県が同県原水協から申請のあった原水禁世界大会の助成金10万円について、「助成金は大会の結果をみて改めて考慮する」と保留決定
1959/7/30
呉市自治連合会が原水禁世界大会と呉市中央公園で開く原水禁呉大会(8月2日)に不参加を決定
1959/7/30
自民党神奈川県連が県議団会を開き、原水禁世界大会に6人の代表参加を決定。自民の不参加が相次ぐ中、「大会の運営正常化を期す意味」で参加
1959/7/30
長崎原水協の代表委員、住田政之助市議会議長ら3人が県と市へ第5回原水禁世界大会参加費用として各5万円の補助金交付を申請。田川務市長は援助は惜しまない、と言明(「長崎年表」)。8月3日には、佐藤勝也長崎県知事も5万円を出すことを明らかに(「西日本新聞」)
1959/7/30
広島県山県郡社会福祉協議会と山県郡原水爆禁止協議会が総会。原水禁世界大会について「安保条約改定反対についての討議、決議には参加しない」との条件付きで代表40人の参加を決める
1959/7/30
原水禁世界大会のため広島入りした日本原水協の安井郁理事長が基本的態度を語る。「原水協は政治的圧迫には屈しないが、善意の批判は謙虚に受け入れ、大会も正しく民主的に運営する考えである」
1959/7/31
社会党が第5回原水禁世界大会への方針を決定。原水禁運動が既に高い政治性を帯びているとの認識に立ち、非核武装などを強く主張へ
1959/7/31
第5回原水禁世界大会の予備会議が広島市の平和記念館で開会
1959/7/31
第5回原水禁世界大会に参加する平和行進の広島県北班が比婆郡東城町を出発
1959/7/31
広島市議会が原水禁世界大会への議会代表の派遣見送りを正式決定
1959/7/31
「平和と学問を守る大学人の会」が「安保条約改定は日本と極東の平和を脅かす危険がある」と改定交渉の即時打ち切りを要望する声明書を発表
1959/7/31
原爆被災者を治療した当時の国防救護隊員用の腕章と防空ずきんを、広島市己斐東本町の堀沢代さんが中国新聞社に持参。原爆資料館での保管を依頼
1959/7/31
英コールダーホール改良型原子炉の安全性に関する公聴会が東京で開催。茨城県東海村に設置予定で、安全性に不明確な点が多いため原子力委員会が開く。「安全」とする産業界と「疑問は未解決」の学界が対立
1959/7/--
広島県宗教連盟が理事会で、8月6日に各戸に弔旗を掲揚し、原爆犠牲者のめい福を祈る運動を進めることを決定
1959/7/--
日本被団協が原水禁世界大会で原爆被害の実情を訴えるため、研究報告書をまとめる。物理、医学、経済、政治などの研究を総合的に網羅。特に残留放射能による被害に注目し、研究と治療の促進を強調
1959/7/--
福井県議会の自民党が、原水禁県協議会長である北栄造知事に会長辞任を勧告へ
1959/7/--
エスペラント語に翻訳され世界各国に紹介された広島大文学部の小倉豊文教授著の「絶後の記録・妻の屍を抱いて」に対し、ハンガリー平和協議会から平和賞の賞状が届く
1959/7/--
原爆投下直後、米のB29から落とされた落下傘の一部を保管していた元広島連隊区司令部可部分室勤務の池田正樹氏(元広島県世話課員、東京・江東区)が、中国新聞社を通じて原爆資料館に現物を寄贈

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