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ヒストリー

ヒロシマの記録1958 9月


1958/9/1
ジュネーブで第2回原子力平和利用国際会議。66カ国約5,000人が参加。日本からは湯川秀樹博士を代表に石川一郎原子力委員ら52人。13日まで
1958/9/1
橋本龍伍厚相が中国新聞のインタビューに答え原爆白書づくりに積極姿勢
1958/9/2
広島原爆病院でこの年20人目の犠牲者。広島市福島町の高曲春雄さん。死因は肝臓障害。49歳
1958/9/3
原子力平和利用国際会議で米政府原子力委員会のリビー博士が「米は核実験禁止のいかなる協定ができても平和目的の核爆発は行う権利を留保したい」と発言。ソ連代表が非難
1958/9/3
日本医療社会事業協会から広島原爆病院に連絡。「原爆症の疑いのある場合、医療法による治療認可がなくても、治療開始日にさかのぼり生活保護法の医療扶助を適用する」
1958/9/3
ジュネーブの原子力平和利用国際会議で、日本代表が原子力移民船の建造計画を発表。2万100トン、船客2,500人
1958/9/5
英国が日本政府の核実験中止の要請を拒否
1958/9/5
日本原水協の安井郁理事長がモスクワで国際レーニン平和賞を受賞
1958/9/8
仏のアラン・レネ監督の「24時間の情事」(仮題「ピカドン」)広島ロケが始まる。原水爆反対デモのエキストラ提供要請を広島市教委、原水禁広島協議会とも難色。「濃厚な恋愛映画で児童生徒に見せられないとすればエキストラの提供は無理だ」
1958/9/9
三菱造船労組長崎支部執行委員会が、核兵器の研究、製造拒否を決定(「長崎年表」)
1958/9/11
ソ連のクレブス教授らが放射性廃棄物の海中投棄の危険性を指摘。「海溝の水はたえず循環しており、海中投棄は将来危険となろう」
1958/9/11
「被爆者健康手帳の盲点」。手帳は発行都道府県内の指定医療機関でしか使えず、他県では被爆者が実費負担。被爆者の訴えを中国新聞が報道
1958/9/13
映画「千羽鶴」のモデルの1人だった広島市の基町高校の少年が自殺。幟町中学時代は「こけしの会」で活躍し、原爆の子の像の建立にも努力
1958/9/13
米ミシガン大医学部のジェームズ・ニール教授ら米側の4人の遺伝学者と東京医科歯科大、大倉興司助教授ら8人が広島、長崎の児童の原爆の遺伝的影響調査実施へ。日本学術会議遺伝学研究連絡委員会小委員会で決める。ABCCが1948年から1953年まで調べた両市の妊婦8万人のうち1万人を無作為に選び2年間にわたって調査
1958/9/14
ウィーンで第3回国際科学者会議(パグウォッシュ会議)。すべての戦争の廃棄を要求するウィーン宣言発表。日本からは平野義太郎氏参加(「平和運動20年運動史」)
1958/9/16
ソ連が国連総会へ核実験停止で論議を要請。米は反発
1958/9/16
茨城県東海村原子力研究所で天然ウラン棒を切削中、ウラン粉末が発火
1958/9/16
長崎原水協が、長崎市城山1丁目の子供会が始めた千羽づるを契機に平和の折りづる運動を開始(「長崎年表」)
1958/9/16
広島市が8月6日の平和宣言を世界へ送る。各国都市150通、平和団体、平和主義者102通、激励メッセージへの返書48通の計300通
1958/9/17
モスクワ放送が「米英が今後も核実験を続けるならソ連も核実験を再開せざるを得ない」
1958/9/18
藤山愛一郎外相が国連で「核実験停止協定は速やかに、かつ他の軍縮協定に優先して成立させなければならない」と演説
1958/9/19
米がネバダで1キロトンの小型核実験
1958/9/20
長崎市原爆障害者治療対策協議会を改組し財団法人・長崎原子爆弾被爆者対策協議会(長崎原対協)を設立。事務局は市社会課内(「長崎年表」)
1958/9/22
中国新聞社会事業団が主催し、広島市のエリザベト音楽短大で「原爆未亡人援護ウエルチ女史独唱会」
1958/9/23
ABCCが広島市寺町の徳応寺で、1957年9月から1958年8月まで同所で病理検査を行った158人の追悼法要
1958/9/23
英がクリスマス島で通算21回目の核実験。この年8月22日から4回目
1958/9/26
日本原水協内に「被爆者援護法制定のための特別委員会」を設置
1958/9/26
ホノルル米連邦地方裁判所が、原水爆実験抗議船フェニックスの船長アール・レイノルズ氏に禁固6月の判決
1958/9/27
広島平和委員会が発足(「広島新史・年表編」)
1958/9/30
米政府原子力委員会が「ソ連が核実験を再開。北極圏内で2回、規模は中ないしそれ以上」と発表▽米が声明。「これでソ連の一方的核実験中止が宣伝目的であったことがはっきりした
1958/9/--
日本赤十字社が別府市に原爆障害者治療センターの建設を決める。お年玉はがき1億円の配分受ける
1958/9/--
映画「第五福竜丸」の撮影順調。監督新藤兼人氏、主演宇野重吉、乙羽信子氏
1958/9/--
広島市似島に「広島原爆養老館」の建設計画が具体化。旧陸軍検疫所跡地を活用。広島戦災供養会会長の鈴川貫一氏を中心に、2年前に設立発起人会

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