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ヒストリー

ヒロシマの記録1957 6月


1957/6/1
日本原水協が米英ソ3国に原水爆禁止を訴える国民使節として日本被団協代表委員の森滝市郎氏ら11人を選ぶ
1957/6/1
長崎原爆病院の起工式が、建設地のABCCモーター・プール跡地で行われる(「長崎年表」)
1957/6/2
米がネバダで2回目の小型原爆実験
1957/6/3
広島市内で原爆医療法に基づく被爆者健康手帳の交付始まる。初日は1,850人が届け出
1957/6/4
広島市原対課が、広島原爆病院での原爆乙女特別治療に新たに5人の追加を厚生省に申請
1957/6/4
米上下両院合同原子力委員会の放射能公聴会で、ウィスコンシン大のジェームス・クロウ、インディアナ大ハーマン・マラー両博士が放射性降下物(死の灰)は遺伝学上危険と証言
1957/6/5
米がネバダで3回目の原爆実験。1キロトン以下の爆発力でこれまでで最も小型
1957/6/5
米上下両院合同原子力委員会の公聴会で、政府原子力委員で原子力軍事政策の理論的総帥リビー博士と、反リビー派の筆頭で有害説をとるラップ博士が証言。リビー博士は「核実験に伴う危険は核兵器を放棄する結果生じる危険より小さい」と主張、議員から激しい追及を受ける
1957/6/5
広島YMCAは世界各国8,500カ所のYMCAへ原水爆実験反対を訴える手紙を送ることを決める
1957/6/6
核実験中止のアピールを行い約2,000人の科学者の署名を集めたノーベル賞受賞化学者ライナス・ポーリング博士に、米上院国内治安分科委員会が召喚状を送付。7日、喚問中止を発表
1957/6/7
スイスのチューリッヒ州議会議員エルビン・A・ラング氏から「原水爆禁止のための平和と友好声明にメッセージがほしい」との手紙が渡辺広島市長に届く
1957/6/7
広島市段原大畑町、森もとさんが再生不良性貧血症のため死去。51歳。この年広島市で10人目の原爆症犠牲者
1957/6/9
米上下両院合同放射能分科委員会のホリフィールド委員長がテレビ会見。「米国は大型核兵器の実験を中止すべきだ。もし世界が過去10年と同様のテンポで今後10年間核実験を増加させれば、現在の人類、今後生まれる世代にとって非常に危険なものになろう」
1957/6/9
米物理学者のラルフ・ラップ博士がテレビを通じ「核実験の結果、今後30年間に約5万人が白血病の犠牲になろう」と警告
1957/6/10
世界平和評議会の総会がセイロンのコロンボで、70カ国から402人の代表が参加して開かれる。「核実験は現在進行中の軍拡競争の最高表現であり、恐るべき原子戦争を引き起こさずにはやまないであろう」とコロンボ・アピール発表(「平和運動20年運動史」)
1957/6/10
広島逓信病院長の蜂谷道彦博士の「ヒロシマ日記」に感動した米フィラデルフィアの市民から渡辺広島市長あてに「ヒロシマ」と題した自作の詩集が届く
1957/6/10
日赤中央病院長の都築正男博士が日本原水協の幹事会で「骨の悪性腫瘍などに影響を与えるストロンチウム90は、このまま原水爆実験が続いたら15~16年後には許容量を超える計算になる」と警告
1957/6/11
米政府はネバダ核実験への日本の抗議に対し「平和維持のため中止できない」と回答
1957/6/11
長崎市が被爆者健康手帳の交付申請書の受け付けを始める(「長崎年表」)
1957/6/12
米科学者連盟が大型核兵器実験禁止に関する国際協定の即時締結を要求するアピール発表
1957/6/14
国連軍縮小委員会でゾーリン・ソ連代表が核実験を今後2、3年間中止し、ソ米英の3国と太平洋地域に科学専門家を配置した監視所の設置を提案。米当局者は「ソ連の立場を大幅に前進させたもの」と評価し、1年間の中止に同意する可能性があると語る
1957/6/15
ウィルソン米国防長官が記者会見で「核実験が今禁止されても大陸間弾道ミサイル(ICBM)は完成できる」と言明
1957/6/16
日本原水協が8月に東京で開く第3回原水爆禁止世界大会のスポンサー(提唱者)を発表。チャールズ・チャップリン氏ら8カ国14人。スポンサーは大会に賛同し、その意義を世界に訴える
1957/6/16
ゲイッケル英労働党首が「英は原水爆実験一時中止のソ連提案を受け入れるべき」と語る
1957/6/17
原爆乙女の治療のため南アフリカの形成外科医ジャック・ペン博士が広島入り。18日から広島原爆病院で大内五良、原田東岷氏ら原対協医師団と合同診察
1957/6/17
国連軍縮小委員会が再開。米、英、仏、カナダの西側4カ国は「核実験一時中止のソ連提案は部分的軍縮協定成立への大きな進展を示す」と歓迎
1957/6/18
米がネバダ実験場で今期4回目の核爆発実験
1957/6/18
群馬大の山県登助教授がコイや食肉からセシウム137を検出
1957/6/19
英がクリスマス島で3回目の水爆実験。英供給省は「一連の水爆実験は終了」と発表
1957/6/19
アイゼンハワー米大統領が記者会見で「核実験一時中止のソ連提案は軍縮に明るい希望が持てる兆候であり、最大限真剣に検討する価値がある」と言明
1957/6/20
建物疎開作業中に被爆死した旧制広島市女の生徒の慰霊碑が母校の校庭から被爆地である平和大橋西詰めの河岸緑地へ移転
1957/6/22
日本原水協が米英ソ3国に派遣する原水爆禁止国民使節団に伊藤忠男広島市議会議長の参加決定
1957/6/22
小山誠太郎新潟大教授が、4月17日に新潟地方に降ったチリからトリウム231を検出。ソ連の核爆発は従来のものと違いトリウムを混用した天然ウラン水爆とみられると発表
1957/6/24
米がネバダ実験場で今期5回目の核爆発実験。爆発の規模は明らかにされていないが、米政府原子力委員会はさきにTNT火薬で20キロトンを超えると発表しており、今期最大の爆発の可能性が高い
1957/6/25
岸首相がニューヨークの国連本部から全世界に向けた放送で、核実験禁止協定の早期締結と国連による全面的軍縮計画の実現を訴える
1957/6/26
アイゼンハワー米大統領が記者会見で「今後4、5年水爆実験を続ければ「完全にきれいな水爆」が製造できる。ソ連も「きれいな水爆」を製造することを希望する」と言明
1957/6/28
米がネバダ実験場で行った6回目の原爆実験が失敗。3人の科学者が不発弾を解体。これまで50発に上るネバダでの原爆実験の歴史で2度目
1957/6/--
相次ぐ原水爆実験の影響で気象庁は「ことしは放射能梅雨になりそう」と警戒

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