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ヒストリー

ヒロシマの記録1957 9月


1957/9/2
政府がソ連に核実験中止を申し入れ。今年3回目。ソ連政府は「他の諸国が実験を続けている以上、中止することはできない」
1957/9/3
西脇安・大阪市立大助教授が日本遺伝学会で「6カ月の死産胎児からストロンチウム90検出」発表 1957/9/3
米国防総省が、今秋から大気上層の放射能調査を行うと発表
1957/9/4
外務省が第12回国連総会に提出する核実験禁止に関する勧告案をまとめる。査察機構を中心に米ソの妥協点を見いださせるなど、対立している西側とソ連陣営の主張の折衷案的内容
1957/9/5
自民党がソ連の無警告核実験への抗議を決定
1957/9/5
輸入発電炉の受け入れ会社「原子力発電株式会社」の設立準備委員に茅誠司日本学術会議会長ら15人を選ぶ
1957/9/6
米がネバダ実験場で今期17回目の原爆実験。米政府原子力委員会は「威力はTNT火薬2万トンよりはるかに低い」
1957/9/6
「米政府原子力委員会は地球内部の構造研究に協力するため、14日にネバダ実験場地下800メートルで原爆を破裂させる」。国際地震学協会のブレン会長(オーストラリア)が明かす
1957/9/6
ソ連のベルソーフ博士(地震学)が記者会見。「ソ連の一流科学者数百人が死の灰の影響を考え原水爆実験中止を政府に求める要請書に署名」
1957/9/7
宮地伝三郎京大教授ら生物学者120人が「原水爆の威力は生物としての人間の滅亡を招く」と声明
1957/9/7
平和と取り組む広島の子供たちの姿を描く映画「千羽鶴」の製作が決まる。「広島平和をきずく児童生徒の会」の常任委員会が承認。原爆の子の像の歌「星の一つに」を発表
1957/9/8
第3回原水爆禁止世界大会広島大会の総括会議開く。効果的な共同行動を進めることを確認
1957/9/8
日本被団協が広島市で開いた全国代表者会議で、各国へ被爆者を派遣し被害の実相を訴えるなど運動方針を決める
1957/9/9
湯川秀樹博士ら世界平和アピール7人委員会が核物理学者や原水爆禁止運動家ら29人を招いて放射能懇談会を開き、原水爆禁止に向けさまざまな分野の科学者が結束し世論に訴えることを申し合わせる
1957/9/9
米政府原子力委員会が「ソ連は過去2日間に中規模の核兵器爆発実験を行った」と発表
1957/9/11
東京の国際ペン大会に出席したフランス文芸協会のイブ・ガンドン会長とインドの作家ウマシャンカル・ジョシー氏が広島市を訪問。宇品町の広島「憩いの家」で被爆者と懇談。17日にはフランスのペン・クラブ会員ミッシェル・ドロウ、ジャン・ジャック・レバッフの両氏が広島市を訪問
1957/9/14
英がオーストラリアのマラリンガ砂漠で原爆実験
1957/9/14
米がネバダ実験場で今期19回目の原爆実験。威力はTNT火薬1万トンとみられる
1957/9/15
米政府原子力委員会と国防総省が「来春、太平洋エニウェトク環礁で一連の核実験を行う。防衛用兵器の発展が目的で放射性降下物は少ない」と発表。ソ連の大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射成功に対抗する水爆実験とみられる
1957/9/16
米がネバダ実験場で今期20回目の原爆実験。威力はTNT火薬4万トンとみられる
1957/9/17
第12回国連総会開会に合わせ全国27カ所で各地方原水協主催の「国連へ原水爆実験禁止協定を要請する国民大会」開く
1957/9/17
政府が太平洋核実験に関して米に抗議。岸首相が外務省にマッカーサー駐日大使を招き抗議文を手渡す。自民、社会両党も抗議
1957/9/18
ダレス米国務長官が「1960年代までに米の核兵器による大量報復政策は終わり、各国が小型の核兵器を持つことになろう」と西欧側防衛体制の見通しを表明
1957/9/18
米空軍が年末までに戦略空軍司令部の指揮下に初めて大陸間ミサイル部隊を設置すると発表
1957/9/18
京大医学部がサイクロトロン(出力6,000電子ボルト)を使って広島原爆投下のさいに発生した放射線強度の推定値を中間報告。爆心地から1キロ以内では1,000レントゲン以上、2キロ以内で600~800レントゲン、3キロ以上が400レントゲン
1957/9/18
日本の第1号実験用原子炉JRR-1の完成式が茨城県東海村の日本原子力研究所東海研究所で行われる
1957/9/19
ウィーンの国際原子力機関第1回総会政府代表に原子力委員の石川一郎氏が決まる
1957/9/19
米がネバダ実験場の地下240メートルのトンネル内で原爆実験。人工地震を起こす実験で、威力はTNT火薬1,000~2,000トンと小型だが、地下爆発としては最大。京大阿武山地震観測所などで地震波を観測
1957/9/19
第12回国連総会本会議で藤山愛一郎外相が演説。「核兵器実験の停止が管理・査察制度のような必要な条件のもとに実施された場合には、軍縮全般の推進に好影響を与える。わが代表団は核兵器実験を含む核兵器問題について総会で合意に達するようあらゆる努力をする」。演説後の記者会見で外相は米の「きれいな水爆」に反対するとともに、軍縮委員会に大国以外の参加を訴える
1957/9/20
国連総会本会議でソ連のグロムイコ外相が、核実験の一時停止に加え、核兵器の5年間使用中止を提案
1957/9/20
被爆当時5カ月の胎児だった広島県豊田郡豊浜村、小学6年梶山健二君が急性骨髄性白血病で死去。12歳。今年に入り広島県内で24人目の犠牲者
1957/9/21
高知県原水協が1958年4月太平洋エニウェトク環礁で行われる予定の米核実験を阻止するため、国際抗議船団の派遣を日本原水協に提案する方針決める
1957/9/21
日本原水協の原水爆禁止国民使節団員として英など西欧諸国を訪問していた森滝市郎広島大教授が帰国。記者会見でオーストリアのシェルフ大統領が原水爆禁止のため来年ウィーンで国際科学者会議を開く意向であることを明らかにする
1957/9/23
国連日本代表が「軍縮交渉促進ならびに核実験停止に関する決議案」を国連総会本会議に提出。軍縮委員会の年内の再開と核実験の暫定停止を求める
1957/9/24
岸首相が「軍縮交渉促進ならび核実験停止に関する決議案」に賛同するよう米英ソ3国の首脳に書簡を送る
1957/9/24
厚生省が原爆医療法の来年度予算案として倍近くの約3億2,000万円を決定。山下義信参院議員が語る
1957/9/24
米政府原子力委員会が「ソ連は24日北極圏で水爆実験を行った」と発表。気象庁は水爆実験によるものと推定される異常微気圧振動を観測、発生地はソ連領内のタイミル半島からノバヤゼムリャ諸島一帯
1957/9/24
英がオーストラリアのマラリンガ砂漠で2回目の原爆実験
1957/9/25
原水禁広島協議会と同広島市協議会が主催し、原水爆実験の即時無条件中止を要求する広島市民大会開く。広島市本川小学校講堂に被爆者、学生、労組代表ら500人が参加。政府、国会、国連へ原水爆実験の即時停止を求める決議文提出へ
1957/9/25
富山県議会が平和宣言を発表。岡山県議会に次いで全国2番目
1957/9/25
広島県被団協が、国連総会で日本代表が条件付き核実験停止を提案したことに反対し、藤山愛一郎外相に抗議電報の打電を決定。「日本案は実験管理と査察機関設立という条件付きのうえ、1年間の暫定案。国会の無条件禁止の実現を阻む」
1957/9/28
米がネバダ実験場で今期23回目の原爆実験。威力はTNT火薬で2万トン以上と推定
1957/9/30
広島市の人口が40万368人に
1957/9/--
インドの原子力委員長H・バーバ博士が「融合反応の研究と大気汚染の測定を日印協力でやりたい」と呼びかける
1957/9/--
放射能の恐怖を告発した記録映画「世界は恐怖する」(亀井文夫監督)が撮影を終え、近く公開。日本語版のほか英、仏、露語版も同時製作

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