×

ヒストリー

ヒロシマの記録1957 10月


1957/10/1
国際原子力機関の初総会がウィーンで始まる。3日に日本など23の理事国が決まる
1957/10/2
国連英代表部は日本の核実験停止案に反対を表明
1957/10/2
米政府原子力委員会のロジス原子炉開発部次長が「アイダホ・フォールズ原子力研究所にある材料試験用原子炉の中に近くプルトニウムを燃料として入れる」と言明し、世界初のプルトニウム原子炉の成功を示唆
1957/10/3
アイゼンハワー米大統領が核実験禁止に関する岸書簡に回答。「核兵器の製造およびその他の軍備について有効な制限が存在せず、また核兵器を用いて行われる可能性のある奇襲を防止するための査察を、すべての主要国が受け入れることなしに実験は停止できない」
1957/10/4
日本学術会議は、7月にカナダのパグウォッシュで開かれた国際科学者会議の原水爆反対声明を支持する決議を採択
1957/10/4
ソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。タス通信発表
1957/10/6
ソ連が新型の強力な水爆実験。タス通信は「住民と参加する人々の安全を守るため、実験はきわめて高空で行われた」
1957/10/6
全日本海員組合が新年度の活動方針案に原子力商船の建造促進を盛り込む
1957/10/7
米がネバダ実験場で今期最後、24回目の原爆実験。威力はTNT火薬2万トン以下
1957/10/7
ドイツ、ベルギー両赤十字から派遣された放射線医師5人が広島市入り。広島原爆病院で3週間、被爆者の診察や治療にあたる
1957/10/8
英がクリスマス島周辺に航空機の立ち入り禁止区域を設定したと発表
1957/10/9
英がオーストラリアのマラリンガで今期3回目の原爆実験
1957/10/9
インドのネール首相が、娘のインディラ・ガンジー女史(後のインド首相)と広島市を訪問。3万人の歓迎市民で埋まった平和記念公園で演説。「原水爆禁止の訴えは広島の運動だけではなく、良心を持つすべての人が抱いている。私は心から皆さんに共鳴して戦う」
1957/10/9
原子燃料公社が岡山、鳥取県境の人形峠と鳥取県倉吉地区のウラン、トリウム鉱区の開発を本格的に進めることになり、両地区36鉱区の鉱業権所有者代表と探鉱開発契約を交わす
1957/10/10
米政府原子力委員会が「ソ連は10日、北極圏で小型の核実験を行った」と発表
1957/10/10
国連総会第1委員会で軍縮問題の討議始まる。松平康東国連代表が「核爆発による放射能が無害との結論は出ていない。実験を継続すれば思わぬ影響が起きるだろう」と核実験中止を求める演説
1957/10/11
英ウィンズケール原子力工場の核兵器用プルトニウムを製造する原子炉が故障、酸化ウランが煙突を通じて外部に漏れる
1957/10/11
政府はソ連に対し人道的立場から率先して核兵器実験を中止するよう申し入れ
1957/10/11
米英仏など西欧21カ国は国連総会第1委員会で、大気圏外物体管理を含む6項目軍縮案の協定達成を図るため、軍縮小委員会を再開する決議案を提出
1957/10/14
マクミラン英首相が核実験の停止を求めた岸書簡に対して、日本案に同意できぬと返電
1957/10/14
山県登群馬大助教授は粉乳から前年の数倍のセシウム137を検出
1957/10/14
政府の核実験中止申し入れに対し、ソ連政府は「現状では実験を中止できない」と回答
1957/10/15
防衛庁が陸上自衛隊化学学校を埼玉県大宮市に新設。近代戦に不可欠なC・B・R(毒ガス・細菌・放射能)防御対策を研究
1957/10/16
英の著名なキリスト教平和主義者ドナルド・ソーパー博士が広島市を訪問。「英でも先のミサイル実験成功の報道などが契機となって原水爆禁止運動に参加する民衆の数が増加している」
1957/10/18
英外務省は「クリスマス島水爆実験の損害に対する合法的補償要求を考慮する」と表明
1957/10/18
中村誠太郎東大助教授ら若手学者で組織する「素粒子論グループ」は動力協定問題について、現在交渉中の日英、日米など特定国との2国間協定を急いで締結する必要はなく、国際原子力機関中心主義でいくべきとの結論をまとめ、原子力委員会に申し入れ
1957/10/19
ブルガーニン・ソ連首相は核実験の停止を求めた岸書簡に対し、「核実験停止と一般軍縮問題を分離するべきとの点で見解が一致している」と回答。「ソ連は日本の真意をくんでいない」と愛知揆一官房長官が談話。藤山愛一郎外相も「ソ連回答は政治的」と語る
1957/10/19
米政府原子力委員会の放射能降下物分科会が、降灰による放射能汚染や民衆に与える心理的被害を考慮して、今後の核実験を最小限にとどめるよう勧告
1957/10/20
広島赤十字病院の増田義哉眼科部長が「被爆者は通常の人より早く老眼になり、その度合いも強いという傾向が統計的にみられる」と中四国眼科学会で発表
1957/10/21
第3回世界連邦アジア会議が「国連は核兵器の製造実験を阻止できるよう国連憲章を改正せよ」と京都宣言を発表
1957/10/22
仏のモック国連代表が記者会見で「ソ連と効果的な軍縮協定を結ぶことが不可能なら、フランスも原爆の生産、実験を始める」と警告
1957/10/23
マッケルロイ米国防長官が、「米海軍は原子爆雷を完成し大西洋防衛軍に装備した」と発表
1957/10/25
米英首脳会談で共同コミュニケ発表。「ソ連の長距離誘導兵器の進歩に対抗し原子力、誘導兵器、ロケット研究を推進するため、米英をはじめ西側諸国の科学力結集をはかる」
1957/10/25
広島市教育委員会が被爆した小、中、高校生の健康管理を強化するため、被爆者健康手帳の有無など実態調査を始める。被爆児童生徒数(1956年1月現在)は小、中、高合わせて9,657人
1957/10/26
モハマド・ハッタ前インドネシア副大統領が広島市を訪問
1957/10/26
英国防省が「今冬、クリスマス島で核実験を行う」と発表。威力はメガトン(TNT火薬100万トン)級との発表から、英紙は大陸間弾道ミサイル(ICBM)用の水爆弾頭の初テストと推測
1957/10/27
グロムイコ・ソ連外相が、国連総会に日本が提出した核実験中止の決議案を「無条件禁止を貫け」と批判
1957/10/29
米ニューヨーク・タイムズ紙は、米英首脳会談の決定を受け、両国は核兵器の研究を分担することで一致したと報じる
1957/10/29
広島県佐伯郡宮島町議会が原水爆実験の無条件即時中止を決議
1957/10/30
政府はクリスマス島で核実験を再開すると発表した英政府に実験中止を申し入れ
1957/10/30
東大文学部の教官が核兵器禁止を決議。全学部の賛同を得た後に世界の大学や研究所、学者にアピール送付へ
1957/10/--
「広島平和をきずく児童生徒の会」が進めている原爆の子の像の建設に、湯川秀樹博士が鐘の寄贈を申し入れ
1957/10/--
広島原爆病院が開設1年間(9月19日現在)の診察概況を発表。検査延べ人員1万1,751人、初診患者6,956人。被爆者6,772人の血液検査の結果、2,787人に異常が認められ、要治療者は905人
1957/10/--
英で放射能汚染牛乳騒動。北イングランドのウィンズケール地方で牛乳から多量の放射能ヨウ素が検出され、200平方マイルの牛乳の飲用禁止
1957/10/--
原爆映画「世界は恐怖する」のインド上映にネール首相が特別の便宜
1957/10/--
東大斎藤化学教室が原爆症で死亡した男性の遺骨からストロンチウム90を検出
1957/10/--
原爆症の恐怖を描いた「純愛物語」(東映)が広島上映。今井正監督、出演は江原真二郎さん、中原ひとみさんら(「原爆被災資料総目録・第2集」)

年別アーカイブ