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ヒストリー

ヒロシマの記録1955 6月


1955/6/2
濃縮ウラン受け入れに関する日米原子力協定交渉がワシントンで始まる
1955/6/4
東京で日本平和愛好者大会。原子戦争準備反対、基地・沖縄闘争強化など決議。ヘルシンキ世界平和集会日本代表を確認(「平和運動20年運動史」)
1955/6/4
被爆10周年記念・原水爆禁止世界大会に向けて広島駅前と八丁堀で街頭募金始まる。同大会広島準備会の呼び掛け
1955/6/6
米政府がビキニ水爆実験でマーシャル諸島住民の資産補償として7,000ドル支払う。国連に報告
1955/6/6
東京、大阪の放射線影響国際学術会議に出席した海外9カ国9人の医学者が、広島市の平和記念館で原対協治療部委員らと原爆被災時の模様について懇談会
1955/6/7
東京で日本母親大会始まる。久保山すずさんが「水爆に夫を奪われて」と題し報告
1955/6/7
放射線影響国際学術会議に出席の海外の学者9人が、広島赤十字病院に原爆症患者を見舞う。被害者の1人高橋昭博氏のケロイドを見たあと、ABCCを訪問し原爆慰霊碑を参拝
1955/6/8
1955年度の広島、長崎の原爆障害者治療予算1,246万円(504人分)が確定。広島市へは約600万円
1955/6/12
丸木位里、俊夫妻が水爆をテーマにした「焼津」を東京都美術館のニッポン展で発表
1955/6/14
日米原子力交渉が妥結。協定の名称は「原子力の非軍事的利用に関する日本政府とアメリカ合衆国政府の協定に関する協定」
1955/6/14
道徳再武装運動(MRA)国際使節団の一行が日本到着。25カ国から160人
1955/6/15
平和記念公園内の戦災供養塔の改築工事地鎮祭。設計は浅野図書館の設計者石本喜久治氏。直径14メートル、高さ1メートルの土まんじゅう型。地下に納骨堂
1955/6/15
米で初の全米原水爆防空演習。大統領ら1万5,000人が参加
1955/6/16
原対協の於保源作博士が1954年度の原爆障害者研究治療状況まとめる。治療者136人、うち慢性貧血症80人、原爆神経症13人、白血球造多症6人、真性多血症5人、再生不良性貧血4人、骨髄性白血病4人、白血球減少症4人など
1955/6/17
世界母親大会日本代表12人の1人として、被爆者の山口美代子長崎県職組婦人部長が選ばれ、7月4日、スイスに向けて羽田を出発(「長崎年表」)
1955/6/18
フィンランド・ヘルシンキで開かれる世界平和愛好者大会参加の安井郁法政大教授、バレリーナ松山樹子氏ら30人が羽田出発。英文原爆詩集「ザ・ソング・オブ・ヒロシマ」も携える。安井教授が23日の会議で「ヒロシマ原爆投下の8月6日を原子兵器の使用と原子戦争の準備に抗議の日とする」決議を提案
1955/6/19
原水爆禁止世界大会広島準備会がパール・バック女史、ジョン・ハーシー氏、キュリー夫人、アラゴン氏、サルトル氏、郭沫若氏ら70人に大会招請状を発送
1955/6/21
ノーマン・カズンズ氏から「原爆乙女たちは明るい表情で治療中」と渡辺広島市長に手紙
1955/6/22
ヘルシンキ世界平和集会開く。4大国首脳会談を要求し「世界平和集会アピール」を発表。日本から52人が参加。日本代表の提案で「8・6原子兵器反対闘争デー」を決定(「平和運動20年運動史」)
1955/6/22
日米政府間原子力協定がワシントンで仮調印。有効期限5年。湯沸かし型原子炉を予定
1955/6/24
原水爆禁止世界大会日本準備会が大会意識の高揚と資金集めのため記念バッジ(20円)発売を決める
1955/6/25
広島市婦人連合会、広島県教組婦人部、広島こどもを守る会がスイスで開かれる世界母親大会に原水爆禁止のメッセージ送る
1955/6/25
広島市小学校PTA連合会、同婦人連合会、同青年連合会が、市内9万世帯に呼び掛けて「原水爆禁止世界大会10円募金」実施へ
1955/6/27
重光葵外相が衆院内閣委員会で「駐留米軍は日本で原爆を持たず、日本の承諾なしに持ち込まない。5月31日に米大使と話し合い確認した」と言明
1955/6/27
被爆10周年を迎え、長崎国際文化センタ-建設委員会創立総会を開く(「長崎年表」)
1955/6/29
全電通が鳥取の全国大会で原爆被災者の救援運動取り組みを決定。全電通広島県支部の提案。原爆被災者の生活保障、治療費完全給付めざす
1955/6/30
大津市で開かれた自治労全国大会で原爆障害者の治療費3億2,580万円を目標にカンパ運動決める
1955/6/--
ニューヨークのコンテンポラリー・プレス社から森滝市郎原水禁広島協議会事務局長に「原水爆実験-全人類の脅威」と題するパンフレット届く
1955/6/--
歌「原爆を許すまじ」がポーランド・ワルシャワでの第5回世界青年学生平和友好祭の合唱曲に
1955/6/--
広島子どもを守る会が、原爆で両親を失った満20~26歳の青年男女を対象に「原爆から10年、私はこうして生きてきた」と題する生活記録を募集。同世代の子どもたちの精神的痛手がもっとも大きいため
1955/6/--
広島大医学部とABCCが共同で広島市に医学用小型原子炉設置計画。河石九二夫広島大医学部長がホームズABCC所長に要望
1955/6/--
広島湾の似島原爆死没者供養塔(千人DM)に祭られている遺骨を、平和記念公園内の新供養塔へ
1955/6/--
ロサンゼルスの日系人団体が原爆障害者救援募金運動を始める。邦字紙などに寄付募集の広告
1955/6/--
広島赤十字病院で原爆ケロイド障害によるがん発生事例が判明
1955/6/--
蜂谷道彦広島逓信病院長の原爆体験記「ヒロシマ日記」が8月6日を期して米国内で一斉発売へ。ABCC外科顧問として来日したノースカロライナ大学のワーナー・ウェルズ博士が奔走
1955/6/--
原爆投下10周年で世界各地のマスコミの広島取材相次ぐ。6月、ロイター通信、英BBC放送、UP通信、米コリヤーズ誌、ドイツの雑誌、テレビ社

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