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ヒストリー

ヒロシマの記録1954 5月


1954/5/5
大田洋子氏が講談社から「半人間」を出版。文化人会議の1954年度「平和文化賞」受賞(「奥付」) 1954/5/7
原水爆禁止長崎県実行委員会が発会式。県教組、各労組、民主団体の代表25人が出席。委員長は松尾哲男県議(「長崎年表」)
1954/5/9
日本弁護士協会がビキニ事件で、被害賠償請求を決議
1954/5/9
東京・杉並区内の婦人団体、福祉協議会、PTA、労組など39人で原水爆禁止署名運動杉並協議会を結成。杉並公民館長兼図書館長安井郁氏が議長に。杉並アピール発表
1954/5/10
広島県安芸郡海田町の牛島栄代さんが被爆死した愛児範明君の生づめを原爆資料館に寄贈
1954/5/13
厚生省が原対協の専門医師団を招き過去9年間の原爆障害者の診療経過を聴取。医師団は(1)原対協の患者を爆心地2キロ以内の被爆者に限ることは実情にそわない(2)ビキニの灰と同じく第2次放射能被災者も注意せねばならない(3)原爆障害者の集団健康管理を急ぐ必要がある-などと報告
1954/5/13
米国防総省、米政府原子力委員会が1954年の水爆実験終了を声明。「実験は米の国家的利益にとって不可欠のものであり、米および自由世界の安全保障に具体的寄与をした」
1954/5/14
ロッジ米国連代表がマーシャル諸島住民から出された水爆実験中止の要望に回答。「3月1日の水爆実験の際、風向きが変わったため放射性物質により思わぬ被害を住民が受けた。これら住民にはできるだけの処置を取っている」。被害住民は236人と発表
1954/5/14
米信託統治領マーシャル諸島住民が国連信託統治理事会に請願書。「マーシャル諸島ロンゲラップ、ウトリック両島住民の間に放射能による致命的症状が現れている。実験を一切即時中止せよ。できない場合は実験地域の全住民に対し安全措置をとり、退去しなければならない場合は十分な補償をするべきだ」
1954/5/15
ビキニ調査船俊鶻丸(588トン)が東京を出港。矢部博団長ら22人の調査団、9人の報道陣
1954/5/15
広島児童文化会館に約700人が集まり「原水爆禁止広島市民大会」。4月21日の第6回婦人会議広島大会で呼び掛け、婦人団体、医師会、文化団体でつくった世話人会が主催。議長団に伊藤忠男(市小学校PTA連合会)、大熊ちどり(市婦人連合会)ら4氏。被爆者を代表し金本栄枝氏、高橋昭博氏が体験を訴え。原子兵器の使用、実験、研究、製造禁止などを宣言。原爆障害者に対し国による医療、生活、精神面における全面救援を求める決議も採択
1954/5/16
都築正男東大名誉教授が米国務省の非公式招待で米訪問。17日、米政府原子力委員会秘密会で証言(5・19夕)
1954/5/17
大阪市立大の西脇安・助教授が16日夜から17日にかけて大阪に降った雨1リットルから1分間、2,127カウントの放射能を検出。京都大では2万8,000カウントを超す放射能検出
1954/5/17
ノルウェーで開かれる赤十字社連盟理事会に出席の重藤文夫広島赤十字病院長ら羽田出発。重藤院長「私の目的は原子兵器のもたらす被害について世界に知らしめるというにつきる。原子兵器がいかに非人道的なものであるかという認識を深めることが原爆禁止実現への第一歩であると確信している」
1954/5/21
米政府がビキニ周辺の危険水域立ち入り制限の解除を発表
1954/5/21
福岡県議会が原爆の生産、使用、実験の禁止に関する決議を満場一致で採択、関係方面へ配布へ
1954/5/25
広島市の教育会館で広島県自治団体職員労働組合が結成大会。原水爆製造、使用、実験禁止を決議
1954/5/25
放射能雨や放射能野菜について検討していた原爆症調査研究協議会が、「天水の常用は危険」と発表。野菜はよく洗えば安全
1954/5/25
広島市議会が「原爆障害者治療費全額国庫負担に関する決議」と「原水爆禁止に関する決議」を可決。「世界最初の原爆によって障害を受けたる6,000人の広島市民が、いまなお何らの国家的補償を与えられず放置されており、その悲惨なる実情は見るに耐えない。速やかに安定した生活保護のもとに全額国庫負担による治療を実施し得るごとく特別保護法を制定するため、ここに政府当局ならびに国会において適切なる措置を取られることを要請する」
1954/5/26
広島大、広島女子短大、広島女学院大などの大学自治会が連携し原水爆禁止広島県学生協議会を開き、50万人署名運動を決める
1954/5/28
広島県議会が原子兵器禁止ならびに原子力の国際管理に関する決議案を可決
1954/5/28
大阪府が大阪港に入港した貨物船神通川丸(6,832トン)の乗組員9人に原爆症の恐れがあるとして入院を勧告
1954/5/29
日本弁護士連合会が原爆の製造禁止と原子力の平和利用を米ソ政府に要望。6月、米大使館から「米だけ一方的な中止はできない」と返事
1954/5/31
長崎市議会臨時会が、原水爆製造ならびに使用禁止と原爆障害者の治療費全額国庫負担の要望決議案を可決(「長崎年表」)
1954/5/31
長崎魚市場に水揚げされたカジキマグロ5匹から251~312カウントの放射能検出(「長崎年表」)
1954/5/--
植村環日本YWCA会長がアイゼンハワー米大統領夫人に「米が原水爆の製造、実験を禁止するよう尽力を願う」との公開状を送る
1954/5/--
広島県観光連盟が原爆ドーム(旧産業奨励館)保存のため「原爆ドーム保存期成同盟」の結成呼び掛けへ。「原爆ドームは広島市民が平和を希求しているシンボル。歴史的記念物であるとともに広島市にとっては貴重な観光資源」。市緑政課も金網を張り、立ち入り禁止へ
1954/5/--
京大工学部が5月16日に大阪地方に降った雨から8万6,000カウントの放射能を検出。問題の雨はジルコン95、ニオブ95、ストロンチウム89など「死の灰」と同じ放射性同位元素を含んでいることが分かる

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