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ヒストリー

ヒロシマの記録1954 7月


1954/7/2
原水爆禁止広島県民運動連絡本部が発足。代表に県婦協会長の畠しげ子氏。事務局長に広島大教授の森滝市郎氏。100万人署名を国連に送ることも決定(「原爆三十年」)
1954/7/3
広島民衆劇場が原爆構成詩「命と怒りの詩」を広島児童文化会館で発表(「原爆被災資料総目録・第2集」)
1954/7/4
ビキニ調査船俊鶻丸が東京帰港。海水の最高7,000カウント
1954/7/5
水産庁がビキニ調査結果を発表。北赤道海流域の汚染が最もひどい。大漁場の南赤道流域は安全。調査団が7日は参院水産委員会で参考人として発言
1954/7/5
広島市で浜井広島市長、山田節男参院議員らが集まり世界連邦第2回アジア会議広島大会準備会。11月10日ごろ海外約35人、関係者200人で開催を決定、「広島世界連邦都市宣言促進委員会」(委員長、渡辺鼎広島大文学部長)を発足
1954/7/7
メーソン・シアーズ米国連信託統治理事会代表が「米は太平洋にある信託統治領における原水爆実験を継続する」と声明
1954/7/8
日教組、原水爆禁止署名運動展開を決定。1,000万署名を目標。広島代表が提案(「ひろしま・平和の歩み」)
1954/7/12
都築正男東大名誉教授を迎え、原対協第8回合同診察会
1954/7/13
原水爆禁止広島県民運動連絡本部(代表世話人、畠しげ子氏)が、原爆記念日の諸行事に関する第1回準備委員会。広島平和協会(会長、浜井広島市長)を発展的解消し、平和記念式、慰霊祭は各種団体を加えた「新平和協会」で主催を決める
1954/7/15
アイゼンハワー米大統領が秋の水爆実験計画を中止。また爆発威力を3月1日に爆発させたもの以上にしないよう指示
1954/7/15
国連信託統治理事会が原水爆実験に関するマーシャル諸島住民の請願について討議。英、仏、ベルギー3国共同提案を可決。「米がマーシャル諸島で原水爆実験を行う権利を認める代わりに住民に再び被害を与えないよう予防措置を取ること」を勧告。同地域での実験中止を要求するソ連案、問題を国際司法裁判所に持ち込むよう主張したインド案のいずれも否決
1954/7/16
東京・参院会館で原水爆禁止運動一本化へ「原水爆禁止署名運動全国協議会」の発足めざし第1回結成準備会。結成準備委員に吉野源三郎、西園寺公一、清水慶子氏、発会式は8月6日を予定
1954/7/20
広島県選出国会議員で結成した広島市建設促進協議会が市会議事堂で地元初の会合。全額国庫補助で建設を要望している原爆障害者治療センター具体案など説明(7・21)
1954/7/23
広島平和記念聖堂が名称を世界平和記念聖堂と変更。設計は芸術院賞受賞の村野藤吾氏、建設費8,000万円、うち6,000万円海外から。西ドイツ・ケルン市から東洋一のパイプオルガン、ボフム市から4つの平和の鐘、ボン市から聖櫃、アーヘン市から水盤、ジュッセルドルフ市から正面扉、ベルギーから大理石の祭壇などが寄進へ
1954/7/24
米がビキニ被災補償金で80万ドル(2億8,800万円)提示
1954/7/24
農林省農業技術試験所の江川友治技官が日本土壌肥料学会関西支部大会で「お茶からもビキニ灰の成分である放射能を検出」と発表
1954/7/24
広島県労会議が平和式典への組合旗、プラカードの持ち込み自粛を決める
1954/7/24
広島市の山崎与三郎氏が「広島・長崎を中心とする原爆関係文献目録」刊行
1954/7/26
映画「原爆の子」がチェコスロバキアのカルロビ・バリ国際映画祭で平和賞受賞
1954/7/28
ABCCによる肝臓機能検査によって病気になったと主張する原爆1号吉川清氏夫人に対し、ABCC側が「機能検査が原因とは医学上信じられないが、人道上治療費を負担する」と約束
1954/7/29
「原爆死没者慰霊式・平和記念式」の実施要綱決まる。広島市、広島平和協会の共催で午前8時から同30分まで。続いて広島戦災供養会の主催で「原爆死没者各宗派合同慰霊祭」、9時から10時、中島本町の戦災供養塔。引き続き10時半から原水爆禁止広島県民運動連絡本部が主催し「原水爆禁止広島平和大会」
1954/7/29
原爆歌集「広島」出版。寄せられた6,500首の中から220人、1,753首を収録。生きていしその喜びに抱きあひて泣く友があり原爆の午後人伝てに探しもとめて逢へし子は火傷にゆがむ顔のまま逝きぬ国際平和都市唱へし言葉も空疎にてすでに傍観者となりし彼らよ
1954/7/30
米政府原子力委員会が議会に報告書。「第五福竜丸事件は遺憾。マーシャル諸島住民236人中、ロンゲラップ島民74人は治療中、間もなく回復の見込み」
1954/7/--
日本学術会議が放射能の人体に及ぼす影響解明のため「放射線基礎医学研究所」の設置を検討
1954/7/--
広島原爆投下機エノラ・ゲイについて長岡省吾原爆資料館長が米資料もとに乗組員名、航跡などを発表

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