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ヒストリー

ヒロシマの記録1953 10月


1953/10/1
東京・武蔵野女子学院3年生134人が修学旅行で広島市を訪問。原爆ドームなど見学、慰霊碑前で「四弘誓願」のコーラス
1953/10/1
ジェスイット教会在日伝道本部が「西ドイツ・ウェストファリアミュンスターの町から広島平和記念聖堂に聖堂扉『十字架の道』が寄贈される」と発表
1953/10/1
米ロッキード社が「米空軍と契約、原子力飛行機の設計に着手」と発表。米空軍当局も同様発表、契約内容は明言を避ける
1953/10/2
米カリフォルニア州ロングビーチの精神養父ピーターズ夫人が広島市を訪問。養子の洋服仕立て見習工と対面
1953/10/3
ABCC労組長崎支部がモータープール職員、看護婦の人員整理を不当労働行為として長崎地労委に提訴
1953/10/4
フレミング米国防動員総本部長官が国防動員計画報告をアイゼンハワー大統領に提出。「ソ連は突然警告なしに米国内のいかなる爆撃目標に対しても水爆攻撃を加えることができる。米は侵略を未然に防ぎ、勝利を獲得できるだけの国防動員計画を持たなければならない」
1953/10/4
ABCC遺伝部医師の土本巌氏が第5回中四国小児科医学会(宇部市)で「広島市における新生児死亡について」の研究発表。「病気で死亡した子供162人のうち17人の障害児があった。これは全国並みの数字と変わらない。現在まで3年6カ月の間に3万8,000人の子供を対象に調査を行ったが、原爆による影響はみられなかった」
1953/10/4
米両院原子力委員会のコール委員長が「ソ連は投下可能の水素爆弾を持っている」と言明
1953/10/5
ピーターソン米民間防衛局長官がラジオ放送でコール両院原子力委員長のソ連水爆保有発言に反論。「ソ連も米もまだ水爆を所有していないと推断される」。いまだ爆発装置の域との判断
1953/10/6
ウィルソン米国防長官が記者会見。「ソ連が米本土に水爆を投下させ得るまでにはあと3カ年を要するであろう。ソ連における最近の発展を騒ぎ過ぎてはならない」
1953/10/7
日教組製作の映画「ひろしま」が全国に先がけ広島で封切り。日教組と北星映画が共同配給
1953/10/9
米から贈られた精神養子の養育資金約53万8,000円の配分手続きをめぐり、送金を取り扱うヒロシマ・ピース・センターと広島市の意見が資金配分委員会で対立
1953/10/9
広島市医師会が原対協に被爆者治療費3万3,850円を寄付
1953/10/10
米ニューヨークで行われるヘラルド・トリビューン紙主催の高校生徒討論会の日本代表に原爆被災の広島大付属千田高校3年、藤井紀美子さんが決定
1953/10/13
米シアトルでの太平洋沿岸市長会議に出席した浜井広島市長が帰国。広島復興の外国債券発行問題について「商業ベースに立てば広島の復興事業などは最も不利な対象で、現在のアメリカ経済情勢ではその時期でないという否定的な回答であった」と語る
1953/10/15
英がオーストラリアのウーメラ北西部の実験場で原爆実験に成功。昨年10月のモンテベロ島沖実験に次ぎ2回目
1953/10/19
大阪府教委が日教組製作の映画「ひろしま」を教育映画として推薦しないことを決定。試写会を開いて検討し、「中学3年生以上に見せても差しつかえないが、上映推薦はしない」
1953/10/20
第2回世界平和会議の広島開催を諮るため世界仏教徒会議インド首席代表エム・ダルメスワール氏と日本山妙法寺住職藤井日達氏が広島市入り。21日、平和問題談話会、大学人の会らと打ち合わせ会を開き、全員一致で広島開催に賛成
1953/10/22
中国新聞に作家大田洋子さんを囲む座談会「文学ひとすじ」が掲載開始。27日まで5回
1953/10/22
インドのジャーナリスト、メタ氏が広島市を訪問。「アメリカが原爆を広島、長崎に投下して非戦闘員まで殺傷したことは非人道的でガンジーの教えにも反する」
1953/10/23
ディーン前米原子力委員長がソ連の侵略に対する原爆攻撃の必要性を演説。「もしソ連が明日にでも朝鮮、中東あるいは北極地域で直接、間接にせよ侵略的行動を起こしたとすれば、米は直ちにソ連の心臓部をもたたきつぶす決意を明らかにしておかねばならない」
1953/10/23
広島平和記念都市建設事業のうち平和記念館本館建設と平和記念公園造成の1953年度事業費4,462万円から911万2,500円を削減。建設省が県を通じて広島市に通達。九州、近畿の相次ぐ風水害復旧費のあおり
1953/10/24
ダレス米CIA長官がテキサス州ダラスで演説。「ソ連は原子力分野で米と同等のことをやれる実力を持っていると信じている。自由世界は生き延びようと思うなら強い力を維持することが必要」
1953/10/26
米大使館文化局長ウィラード・ハンナ氏が広島市を訪問。「街の復興に非常に努力しておられる様子が印象深かった」
1953/10/27
英がオーストラリアのウーメラ実験場で3回目の原爆実験に成功
1953/10/27
NHKたすけあい運動による原爆障害者治療費の全国募金総額が508万8,279円30銭に。11月10日、中央共同募金会が原対協に通知。配分は広島358万7,404円60銭、長崎150万874円70銭
1953/10/28
米国立科学協会が新しいABCC所長に米外科界の権威ジョン・モートン博士を任命。4年間所長を務めたテーラー博士の後任
1953/10/--
原爆障害者に対する全額国庫負担の治療のため厚生省が「原爆症調査研究協議会」をABCC内に設置することを検討
1953/10/--
日教組製作の映画「ひろしま」に対する観客世論調査を広島大映画研究会がまとめる。275人を調査。反米的でカット意見が出た3つのシーンについて、「カット必要なし」が70%以上、今後の原爆映画製作は「望む」45.3%、「望まない」35.6%

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