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ヒストリー

ヒロシマの記録1953 12月


1953/12/3
衆院予算委員会で青野武一氏(社会・福岡)が「原爆患者に対して治療費を補助せよ」と質問。山県勝見厚相は「予算措置は講じてないが、治療の促進には努力」と答弁
1953/12/8
アイゼンハワー米大統領が国連総会で演説し、原子力の国際管理を提案。「水爆、原爆原料の厳重な管理、貯蔵および安全保護に責任を持つ国際原子力機関を設置し、ソ連も参加するよう提案する」
1953/12/9
ソ連のビシンスキー国連代表が国連総会でアイゼンハワー米大統領の原子力国際管理提案を拒否。「原子兵器が無条件に禁止されるのでなければ、原子力の平和的利用は保障され得ない」
1953/12/9
原対協の調査で「原爆症が診療各科にわたり『全身病』の性格を持つ」ことが判明。広島県医師会の各分科会(産婦人、小児、精神、耳鼻咽喉、皮膚泌尿科)に依頼、回収した原爆症の実情調査票を分類
1953/12/15
広島市建設促進協議会が参院会館で総会。広島市が旧軍用施設の未譲渡分の無償譲渡を希望
1953/12/15
ウィルソン米国防長官が北大西洋条約機構(NATO)理事会で「米政府は加盟諸国に原子兵器、その他の新兵器に関する情報を提供する用意がある」とNATO軍事力強化を表明
1953/12/16
北大西洋条約機構(NATO)軍事委員会が加盟諸国の軍事計画に及ぼす原子兵器効果の研究を勧めるコミュニケを発表
1953/12/17
チャーチル英首相が下院で外交演説。「原子力管理に関するアイゼンハワー米大統領の新提案は世界の運命の転機となるかもしれない。ソ連がこの提案を無視しないよう希望する」
1953/12/18
米サンフランシスコ市のロビンソン市長が語る。「ワシントンでの民間防衛市長会議で水爆の爆発状況の映画が上映された。破壊力は筆舌につくし難い」
1953/12/18
英のイブニング・ニュースが「チャーチル首相は原子力問題に関してソ連を含む巨頭会談の開催を希望している」と報じる
1953/12/18
MRA国際チーム代表エドワード・グルーディング氏ら4人が広島市を訪問
1953/12/19
米ニューヨーク・ポストのロバート・アレン記者が「米国は1954年早々、日本に原子砲を送り出すだろう」と報じる。太平洋地域の米軍兵力削減に関連と指摘。米軍消息筋は「憶測」と否定
1953/12/20
世界平和者日本会議広島大会(1954年4月開催予定)の準備打ち合わせ会で、日本山妙法寺の丸山行遼師が仏教者を主体とした平和運動を呼びかけ
1953/12/21
ソ連のモロトフ外相がアイゼンハワー米大統領の原子力国際管理提案に回答の声明書。米ソ両国が秘密の外交交渉を開始することに同意
1953/12/21
北欧最大の新聞、デンマークのベーリングスケンティンデンデ紙が「復興した広島平和のためにささげられた都」の見出しで広島を紹介
1953/12/22
ダレス米国務長官がナショナル・プレス・クラブで記者団に言明。「米は原子兵器の管理についてもソ連と話し合う用意がある」
1953/12/26
広島市精神養子養育費配分委員会が養育費74万1,909円を原爆孤児434人に配分
1953/12/26
米政府原子力委員会の初代委員長リリエンソール氏がラジオ放送で「アイゼンハワー米大統領の提案した原子力の国際管理機関が今後6~8カ月以内に活動できるよう要望する」と述べる
1953/12/--
国際医師会議日本準備委員会が東大・草野信男博士の「原爆報告」の英語版「原爆症」を完成。ウィーンでの国際医師会議(5月)で博士が発表したものを英訳。「原爆は生物学的な兵器であり、細菌や化学兵器に類する。今日の医学は原爆の破壊力に対して無力である」などと原爆の破壊力を強調

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