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ヒストリー

ヒロシマの記録1952 2月


1952/2/5
日本赤十字社が原子力攻撃に対する「予防、避難、応急措置」を1952年度から日赤救護法に加える。1月27日から2月5日まで岡山市で指導者講習会
1952/2/5
広島県、市が学徒、義勇隊、徴用工原爆犠牲者調査。市分1,830人、県分1,742人、計3,572人が判明
1952/2/10
米専門家が共同通信記者に「日本に原爆基地を置くことは軍事的、戦略的に見てあり得ない」と語る
1952/2/11
大田洋子さんの「人間襤褸」に第4回女流文学賞
1952/2/16
広島医学会総会が広島医師会館で「講和条約議会批准を記念する原子爆弾症に関する研究発表会」。17日も。13人が発表。呉市の酒井文三元呉海軍病院軍医少佐は原爆投下直後、同病院関係者ら300人余を引率し広島市に入り、外科1,991人,内科236人について75日間観察した結果を発表。植田秀嶺博士、ABCCのマクドナルド博士らは「生殖細胞の遺伝子は原爆障害を受けたまま10年、20年後の子供にも伝わる」の説に反論
1952/2/17
第2回広島、長崎建設促進期成委員会が長崎市会議事堂で開き復興促進と犠牲者援護に関し共同陳情を申し合わせ
1952/2/17
広島大で「原爆の子友の会」結成式。長田新編「原爆の子」に手記を綴った子ら100余人出席、式を前に亡くなった山陽高2年伊藤久人君のめい福を祈る
1952/2/18
英が1952年中にオーストラリアで原子力兵器実験を行うと発表
1952/2/20
長崎市が民生児童委員による原爆障害者調査を開始。障害者1,288人(「長崎年表」)
1952/2/25
米ロックフェラー財団副理事長で米政府原子力委員会委員のアレン・グレッグ博士夫妻が広島市を訪れ、基町の通称原爆資料館、ABCC、医療施設など視察
1952/2/--
広島市の中学3年生が尊敬する人は男女ともマッカーサー将軍。希望する職業トップ男子は工員、女子は事務員。市教委が調査。尊敬する人=(男)マッカーサー将軍、野口英世博士、吉田茂首相、リンカーン、湯川秀樹博士、ダレス大使…。(女)マッカーサー将軍、天皇、吉田茂首相、野口英世博士、父母、リンカーン…
1952/2/--
1945年4月1日から1946年3月31日までに生まれた「原爆っ子」の新1年生の発育状況は全国平均並み。広島市教委調査

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