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ヒストリー

ヒロシマの記録1952 9月


1952/9/1
詩集「原子雲の下より~広島の人々の平和のうたごえ」(峠三吉氏編)、青木書店から出版(「原爆被災資料総目録・第4集」)
1952/9/3
ヒロシマ・ピース・センター東京協力会が第1回懇談会。原爆乙女のために2,000万円募金を決める。主催者は石川代志子(石川達三夫人)、小崎静子(日本キリスト教団総会議長夫人)、田中峰子(最高裁判所長官夫人)、宮崎白蓮(歌人)、真杉静江(作家)さんら
1952/9/4
職員5%整理問題でABCC労組が第2波42時間スト突入。業務マヒ
1952/9/4
広島市社会課が調査していた市内のケロイド患者の実態判明。調査869人中、治療すれば66人は全快、397人症状軽くなる、406人効果なし
1952/9/8
長崎大学医学部調外科で、原爆症の無料診療を開始(「長崎年表」)
1952/9/9
米国防総省、政府原子力委員会が「陸海空軍と原子力委員会の要員からなる合同機動部隊が今秋、エニウェトク環礁で原子力実験を行う」と共同発表
1952/9/10
米ヘレン・ケラー女史から浜井広島市長に「平和都市広島の顧問になる決心をした」と手紙が届く
1952/9/12
「原爆乙女を救おう」と、銀座・松坂屋で映画スターらがサイン募金活動。初日は高峰秀子、木暮実千代、長谷川一夫、柳家金語楼さんらが参加。14日までの3日間で約40万円
1952/9/16
広島県地労委の調停でABCC労働争議が7月30日から49日ぶりに解決
1952/9/17
原爆被害者の会協力会が「原爆被害者の会」基金募金のため広島演劇協会、広島学生演劇連盟などと主催し、児童文化会館で演劇公演
1952/9/18
フロイド・シュモー氏が3回目の広島市訪問
1952/9/19
政府がアジア・太平洋地域平和会議の日本代表団に旅券発行拒否、同会議は10月2日北京で開催(「ヒロシマの記録」)
1952/9/23
広島児童文化会館で舞踊劇「ノーモア・ヒロシマズ」上演。広島市の古月舞踊研究所
1952/9/25
東京・築地本願寺で第2回世界仏教徒会議。30日の最終日、仏舎利の広島安置を決める。世界仏教徒会議は1950年5月、セイロンが世界平和は仏教に基づいてとの確信から、世界29カ国の仏教徒代表を首都コロンボに招いたのが始まり(「原爆三十年」)
1952/9/25
広島記念聖堂(世界平和記念聖堂)の建設基金募集や南米移民促進、戦後日本の実態紹介などの目的で欧米14カ国を講演行脚したカトリック広島教区長の萩原晃神父が広島帰着
1952/9/26
ロンドンで開会中の世界政府樹立第2回会議が同年11月の次回開催地に広島市を決定
1952/9/29
米誌ライフが「未検閲の原爆惨事」と題し広島・長崎の原爆特集
1952/9/29
呉市阿賀町の広島医科大学で日本学術会議原子爆弾災害調査研究班の第1回研究協議会開催。後遺症として「疑似白血病が多発」していることを認め、原爆と白血病について広島赤十字病院の山脇卓壮医師が「被爆1年後から発病、3、4年後が発病のピーク」と研究発表
1952/9/--
「広島原爆の子友の会」がイタリアで開かれる国際医師会議(10月15~17日)に原爆症の症例発表を、と資料収集を呼び掛け
1952/9/--
広島市が被爆当時の写真収集を開始
1952/9/--
広島大理学部分析化学研究室に放射能総合研究室設置へ

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