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ヒストリー

ヒロシマの記録1951 4月


1951/4/1
小説「夏の花」の著者、故原民喜氏の詩碑建設案が日本ペンクラブの月例集会で提案
1951/4/2
広島赤十字病院に入院療養していた吉川清氏が5年2カ月ぶりに退院。「同じような原爆による障害者と手を携え、更生の道を進みたい」
1951/4/2
英保守党系新聞デーリー・グラフィックが報道。「英の第1号原爆の完成は近い。現在6カ所の原子力研究所の協力下に仕上げ段階に入っている。原爆実験はオーストラリアの砂漠地帯で行われることになろう」
1951/4/3
原爆被災で荒廃の縮景園が修復され開園式。3日から一般公開
1951/4/4
仏の中立紙フィガロがソ連の原爆貯蔵について報じる。「ソ連はシベリアのトムスク東南230キロの兵器庫地下40メートルに保有原爆全部を貯蔵」
1951/4/7
アルゼンチン・ブエノスアイレスの「亜国日報」編集者の宮地勝夫氏から「親善のため広島にアルゼンチン公園を建設したい」と中国新聞社に便り。11日、広島市が公園計画図や造園希望文などを発送
1951/4/8
仏政府が「パリの共産党系平和擁護世界会議本部の閉鎖を命じた」と官報に掲載
1951/4/11
トルーマン米大統領がマッカーサー元帥を解任。後任にリッジウェイ中将を決定
1951/4/12
ABCC顧問として遺伝学の権威、米インディアナ大教授ハーマン・ミューラー博士が広島市を訪問。13日に会見。「ウラニウム放射能の影響で突然変異が生ずることは疑いの余地がないが、それがどの程度かは今後の研究によらねば分からない。広島市民の場合、放射能による遺伝的影響が残っていても小さいので見分けにくい。しかし将来これが何らかの反応を示さないとは限らない」
1951/4/13
社会福祉施設の視察で渡米した広島市基町「光の園」の長田シゲ園長が広島に帰着。「訪れた先々で『広島市民がノーモア・ヒロシマズを唱え、再び原爆が落とされないことを祈っている』と伝えた」
1951/4/16
広島市が原爆死没者の名簿調査方法などを決定。全国の原爆死没者を対象に5月から1カ月間で申告者へ調査票を配布、回収。7月中に名簿縦覧
1951/4/23
米・英・仏3国が西ドイツに原子物理学の非軍事研究の再開を許可。3国の高等弁務官報で発表(夕刊中国新聞4・25)
1951/4/23
米の時事解説者ドルー・ピアソン氏がデーリー・ミラー紙上で「米は大きな威力を持つ3つの新原子力兵器を完成した」と述べる
1951/4/25
「川よとはに美しく米田栄作詩集」を新文明社から発刊(「原爆被災資料総目録・第4集」)
1951/4/27
広島市長に再選の浜井広島市長が登庁。記者会見で「平和記念都市建設事業の遂行を」
1951/4/30
「原民喜の文学をしのぶ会」の席上、遺書17通のうち「若き友へ」と題した1通を受取人の同人誌「天邪鬼」編集者梶山季之氏が公開

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