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ヒストリー

ヒロシマの記録1951 7月


1951/7/1
「天邪鬼-故原民喜のために」(梶山季之氏編)が発刊(「原爆被災資料総目録・第4集」)
1951/7/1
ABCC遺伝学部長のウィリアム・シュール博士が米学術研究会議医学部門の歯科生物委員会分科委員に任命される
1951/7/3
広島音楽学校長エルネスト・ゴーセンス神父に母国ベルギーの文部大臣から手紙。「音楽学校にエリザベト女王の名を冠してもいい。将来、日本とベルギーの芸術交換学生派遣も考慮」
1951/7/7
広島駅前ステーションシネマと文化映画劇場で上映された映画「白雪姫」の利益金2万384円が戦災孤児育成資金として広島市に寄付
1951/7/10
米共和党領袖でニューヨーク州知事トーマス・デューイ氏が朝鮮戦線視察後、広島市を訪問。「焼け野原からこんなに立ち上がったことは偉大」
1951/7/10
京大同学会(学生自治会)が京都の丸物百貨店で原爆展を開く。10日間で3万人が入場
1951/7/10
朝鮮停戦の正式会談がケソン(開城)で開始
1951/7/11
広島市内の日蓮宗寺院連合が被爆7回忌死没者追善川施餓鬼法要
1951/7/14
「原爆体験記」(京大文学部学友会内原爆体験記編集委員会編)が発刊(「原爆被災資料総目録・第4集」)
1951/7/16
米歯科使節団一行が広島市に。ABCCなどを訪問
1951/7/16
広島平和協会が被爆7回忌の慰霊祭と平和記念式典の行事計画を決定。「本年は一切の協賛行事を排し、慰霊祭を主体とした厳粛な祈りの1日とする」
1951/7/20
広島復興のため広島市が東京・上野精養軒で池田勇人蔵相らを招き市政懇談会を開催
1951/7/21
米NBCテレビが広島の復興ぶりを全米に放映するため、同社東京支局カメラマンが広島市を訪問
1951/7/21
「ヒロシマ・ハウス」建設のためフロイド・シュモー氏の代理として牧師エメリー・アンドリュース氏が広島市へ。「今年はシュモー住宅街(広島市江波町)に公民館を建築」
1951/7/22
広島文学協会が臨時総会。「広島文学」創刊号が発刊の運びになったと報告。一般投稿を募るため原稿締め切りは8月15日まで延期
1951/7/25
米でノーモア・ヒロシマズ行脚を続けていた広島流川教会の谷本清牧師が広島に帰る。「昨年渡米した時と異なり、米国人は原爆の恐怖について非常な関心を抱くようになった」
1951/7/25
広島平和協会が世界各国の主要都市(200)、国内各都市(300)にメッセージを発送。「われわれは全世界の平和愛好者の共感の中に立って世界平和確立のために献身するとともに、平和都市の建設を進めております。この大事業は子々孫々にわたる粘り強い努力によって必ず完成させなければならないものであります」
1951/7/25
広島建設委員会(委員長、浜井広島市長)がペルー在住邦人藤井忠二氏の寄付金160万円を動物園建設費に繰り入れることを決定
1951/7/25
米ニューズ・ウィーク誌が「国防総省は朝鮮休戦会談決裂の場合、共産軍集結部隊に対し原爆投下の可能性を検討している」と報じる
1951/7/28
東京で平和推進国民会議を結成(「ヒロシマの記録」)
1951/7/--
広島平和協会が8月6日を平和デーにする運動の推進に一般会員を募集。協会の規模拡充と組織強化へ

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