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ヒストリー

ヒロシマの記録1950 6月


1950/6/2
米AP通信が「米は誘導式飛行爆弾を完成したもよう」と報道
1950/6/5
広島平和婦人協会がスイスのMRA運動大会に出席する浜井広島市長に平和メッセージと広島のシンボルとして菊の花を託す
1950/6/6
広島戦災供養会の僧らが戦災供養塔の修復資金募金で広島市内を托鉢行脚
1950/6/12
スイスで開かれるMRA運動世界大会(16~25日)出席のため楠瀬常猪広島県知事、浜井広島市長、川本精一市議会議長の一行が羽田を出発。浜井市長が16日の会議で「真の平和は単に祈ったり希望しただけでは確保されない」
1950/6/15
日本製鋼所広島工場争議1周年を記念して広島市平和広場で平和擁護広島人民大会。労組員ら1,000人が「原爆反対。30万人の死を無駄にするな」と決議(「原爆三十年」)
1950/6/17
「ヒロシマ・ハウス」のフロイド・シュモー氏が浄財6,000ドルを携え2度目の広島入り
1950/6/17
広島市が広島戦災児童養育資金管理運営委員会を開き、ノーマン・カズンズ氏からの送金4,500ドルの配分について協議
1950/6/17
広島市調査課が10月1日の国勢調査はABCCの要請を入れ、全国の広島・長崎の原爆体験者について氏名、生年月日、男女別、常住地が調査されると発表
1950/6/17
米政府原子力委員会がワシントンでABCCの調査結果を発表。「原爆による放射線のため、広島、長崎両市で失明する人が増えている。同研究は原爆開発中に放射線を浴びた米研究者7人が失明したため開始した」
1950/6/18
広島市が平和記念館建設募金の一環として平和シールを発売
1950/6/18
世界連邦運動を推進しているベルギーの人民世界会議準備委員会から浜井広島市長に12月、スイス・ジュネーブで開く初の会合に出席してほしいとの招待状
1950/6/18
理論物理学者アインシュタイン博士が国連ラジオ・インタビューで原子爆弾の国際管理を強調
1950/6/19
米上院軍事委員会が米海軍を原子兵器で武装し原子力潜水艦を建造する法案を承認
1950/6/20
広島市社会課が市民の原爆体験記を募集(7月10日まで)
1950/6/30
英の哲学者バートランド・ラッセル氏が「もしソ連が朝鮮内乱を機に戦争に入れば第三次世界大戦は10年続くだろう」
1950/6/--
広島平和協会が第5回平和祭行事決める。平和宣言、記念植樹、記念音楽会、平和子供会など
1950/6/--
日本建築士会会長の山下泰郎氏が広島市で「広島県産業奨励館の廃虚は取り払った方がいい」と発言
1950/6/--
原爆による死者24万7,000人-と広島市原爆調査委員が推定。うち軍関係者12万5,820人
1950/6/--
広島中央放送局の石島治志氏が熊本放送局に転勤。平和祭を発案など広島に貢献

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