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ヒストリー

ヒロシマの記録1950 7月


1950/7/1
広島平和擁護委員会が「平和への訴え」を発表し、ストックホルム・アピールへの署名を呼び掛け(「広島県労働運動史・年表」)
1950/7/2
原爆製造に参加した米科学者アーサー・コンプトン氏が「米は状況によっては朝鮮で原爆を落とすことにちゅうちょすべきではない」と発言
1950/7/12
アチソン米国務長官が記者会見で「米国民は原子兵器を最初に使用した国を戦犯呼ばわりする共産党の息のかかったアピールによって愚ろうされない」
1950/7/13
西ドイツ訪問中の楠瀬常猪広島県知事、浜井広島市長が朝鮮戦争での原爆使用反対を表明
1950/7/14
広島平和委員会が8月6日平和大会実行委員会を開く。スローガンは「原爆禁止」。原爆体験記の出版を決める
1950/7/16
パリ訪問中の浜井広島市長がルモンド紙記者に「いかなる場合でも原爆を再び使うべきではない」と強調
1950/7/16
マクマホン米政府原子力委員長が「朝鮮で原爆を使用すべきではない」
1950/7/17
米FBIが原子力の秘密をソ連に漏らした疑いでローゼンバーグ容疑者を逮捕
1950/7/18
広島平和協会が広島平和祭のため新制作派の小磯良平氏に依頼していた平和祭ポスターが完成
1950/7/20
広島市と長崎市が8月6日、9日の式典に代表交換参加を決める
1950/7/20
広島市が8月6日の平和祭に向けマッカサー元帥、ロバートソン中将、中国民事部部長ベイリー大佐に式典出席とメッセージの要請状を送る
1950/7/22
広島県青年連合会が広島県佐伯郡廿日市町地御前で開かれ約100人が出席。8月6日に広島県青年平和大会の開催を決める
1950/7/25
谷本清氏が大日本雄弁会講談社から「ヒロシマの十字架を抱いて」を出版(「原爆被災資料総目録・第4集」)
1950/7/26
岸衛国立公園中央審議会委員が「原爆ドームを保存せよ」と強調(「ひろしま平和の歩み」)
1950/7/27
トルーマン米大統領が記者会見で朝鮮戦争に関し「現時点で原爆使用は考えていない」と言明
1950/7/27
広島平和擁護委員会の佐久間澄、四竈一郎常任委員がストックホルム・アピールの取り扱いをめぐって他の委員と意見対立し委員辞任(「原水爆時代下」)
1950/7/28
永井隆博士著「長崎の鐘」松竹映画化で現地ロケ隊30人余りが長崎入り(「長崎年表」)
1950/7/29
広島市が海外179都市へ平和祭ポスター、メッセージを送る
1950/7/30
広島市江波町にフロイド・シュモー氏の「ヒロシマ・ハウス」第2期、8戸が完成
1950/7/--
広島県深安郡神辺町で発会式をした広島原爆記念会が、爆心地の土を使用し「原爆焼」を売り出す 1950/7/--
日本美術家連盟が原爆記念塔をつくり広島市に贈ることを決める。設計はイサム・ノグチ氏に依頼

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