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ヒストリー

ヒロシマの記録1950 9月


1950/9/1
梶山季之氏らが「天邪鬼」創刊(「ヒロシマ・25年」)
1950/9/6
広島市が中島公園に建設する平和記念会館の青写真が決まる。丹下健三東大助教授の設計で両翼に会議場、オフィスを設け中央に原爆資料館。11月着工を計画
1950/9/11
広島戦災供養会が広島城跡に新供養塔、納骨堂、平和会館の建設を広島市に陳情
1950/9/11
ニューヨーク市が空襲警報以外のサイレンの使用を禁止。9月5日には市民に「原爆攻撃にどう対処すべきか」の説明書を配る
1950/9/14
世界連邦広島協議会が発足。会長に楠瀬常猪広島県知事(「世界連邦運動・ヒロシマ二十五年史」)
1950/9/20
阿川弘之氏が小説「年年歳歳」を京橋書院から出版(「原爆被災資料総目録・第4集」)
1950/9/27
広島戦災児童養育資金管理運営委員会が米から送ってきた資金の第2回配分を決める。1人1カ月27ドル。精神養子は計161人
1950/9/27
スウェーデンの世界連邦主義者平和行動隊(FAC)のヒュー・ベイカー氏から浜井広島市長にFACへ広島市の参加を要請する手紙
1950/9/28
コスモポリタン画家、広島市出身の上永井正画伯(在ブラジル)から中国新聞に実母ナオさんの安否を尋ねる手紙。10月13日、ナオさんが名乗り出る。防府市に健在
1950/9/--
永井隆博士の「長崎の鐘」「この子を残して」「ロザリオの鎖」などを原作にした新藤兼人監督の松竹映画「長崎の鐘」が完成

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