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ヒストリー

ヒロシマの記録1950 12月


1950/12/2
精神養子縁組が新たに31人追加で計233人に。31人のうちには1948年、広島市を訪れたヘレン・ケラー女史の養子も。ケラーさんの養子はミカマ・ヨシコさん
1950/12/2
アトリー英首相がプレボン仏首相との朝鮮戦争をめぐる会談で「原爆を使用してはならない。今後、戦況の変化で原爆を投下すべきだと判断した場合でも、まず関係各国と十分な協議を行うべき」
1950/12/3
韓国国防長官が国連に対し原爆の使用を要請。「韓国国民は中ソ両国の共産主義の奴隷になるよりむしろ原子爆弾で死ぬことを欲している」
1950/12/5
北米バプテスト連盟理事で世界連邦運動支持者のアルフレッド・パーカー氏が浜井広島市長をスイス・ジュネーブで開かれる世界連邦準備会議に招待
1950/12/9
広島医学会とABCCが原爆影響研究発表会を開く(「広島県史・年表」)
1950/12/11
米カリフォルニア大学生自治会から浜井広島市長に広島平和都市後援会(会員約100人)を結成したとの手紙。孤児たちの養育資金を集める
1950/12/15
トルーマン米大統領が朝鮮戦争の深刻化で国家非常事態宣言。米国時間16日発効
1950/12/18
トルーマン米大統領が米内の核実験場としてネバダを決定
1950/12/26
ジュネーブで開かれる世界連邦会議に広島代表で出席する田中真一郎氏が広島を出発
1950/12/--
新出版のソ連大百科事典で「広島、長崎に投下された原子爆弾の威力はそれほど大きくなかったが、両市の被害が大きかったのは主として日本の建物が紙と木で作られていたためである」
1950/12/--
広島市比治山にABCCがほぼ完成。職員総数687人=医師53人(うち日本人35人)、検査技師38人(同28人)、看護婦56人(同51人)、その他540人(同455人)
1950/12/--
広島建設委員会(委員長、浜井市長)が平和記念都市建設へ協力を求め在米の広島出身者8人に手紙。「米で広島建設協力会を結成してほしい」
1950/12/--
「カツオから原子爆弾症の特効薬」と守康則高知女子大教授が発表

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