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ヒストリー

ヒロシマの記録1945 12月


1945/12/5
中国新聞が広島市役所で、2,500柱の遺骨を守る土井二三枝さんを紹介
1945/12/6
広島市保健課に安置していた6,000柱の遺骨が市内己斐町の善法寺に移される
1945/12/6
米ロスアラモス研究所長のオッペンハイマー博士が上院で「いかなる国でも原爆を製造し始めたら、われわれは即刻宣戦布告しなければならない」と演説
1945/12/7
広島市で広島戦災者同盟主催の広島戦災者大会。食料、衣類、住宅を与えよ-など大会決議採択。10日、楠瀬常猪広島県知事に「最低生活を確保せよ」と要望
1945/12/8
広島県が初の県戦災都市復興委員会。この後、毎月5日に開催
1945/12/9
広島市が、市議会、連合町内会長、町内会長らを集め市戦災復興会を結成
1945/12/11
戦災救護会総裁の高松宮が広島市を訪問。比治山孤児収容所を訪れ、30人の孤児を慰問。12日も(12・11、12・12、12・13)
1945/12/16
中国文学連盟が広島県安佐郡山本国民学校で、細田民樹、畑耕一氏を招き懇談会。機関誌「中国文化」の発行を打ち合わせる
1945/12/17
広島市の荒神町国民学校が授業を再開
1945/12/19
東大で学術研究会議医学科会第1回原子爆弾災害調査研究報告会。都築正男博士ら報告(「広島新史・資料編1」)
1945/12/21
作家の細田民樹氏が中国新聞に「中国文化連盟の結成」と題して寄稿
1945/12/23
山下義信、禎子夫妻が広島県佐伯郡五日市町皆賀の県農業試験場跡に広島戦災児育成所を開設。原爆孤児を収容
1945/12/25
中国新聞に「爆心地に供養塔を建て、8月6日を罹災記念日として平和への祈りをささげよう」との投書
1945/12/28
米、英、仏、中の報道関係者10人が広島を視察。「マニラ、南京より早く、日本の復興を願うのは虫がよすぎる」などの意見も
1945/12/--
中国新聞が、原爆症患者に「白血球病の兆候が現れ始めた」と報じる。九州大医学部に入院中の患者が11月中旬、死亡

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