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検証 ヒロシマの半世紀

検証 ヒロシマ 1945~95 <26> 非核政策

■報道部 岡畠鉄也

 この夏、天皇、皇后両陛下は、広島、長崎、沖縄へと慰霊の旅をされる。戦後50年にあたり、戦争の被害が大きかった土地を訪問することにより、歴史の重みと苦しみを国民と共有したいとのお気持ちなのだろう。

 史上初の核兵器の惨禍を被った広島市民の中には、今なお「天皇」という言葉の響きに複雑な思いを抱く人も多い。とはいえ、昭和天皇が1947年、復興途上の広島を訪問されて以来、天皇の広島訪問は6回に及び、その記憶は市民の心に焼き付いている。

 ヒロシマと天皇のかかわりを検証し、さらに悲惨な体験を基にスタートしながら、時代とともに変質するわが国の非核政策を見る。

かすむ被爆国の誓い 揺れる非核三原則

 その会合は重苦しい雰囲気に包まれていた。「被爆地の訴えだけでは国際政治は動かないのか」

 6月24日、広島市中区の平和会館で開かれた「核拡散防止条約(NPT)を考える会」。条約の無期限延長を受けた総括会議で出席者の関心は世話人の金子熊夫東海大教授(58)の報告に集まった。元外務省の初代原子力課長。外交官の目に映った舞台裏の報告に、参加者はあらためて国際政治の冷徹さと、腰の定まらない日本外交の姿を身に染みて感じていた。

 「核保有国がどんな多数派工作をしたかご存じですか。どう喝、援助、あらゆる外交カードを駆使してNPT延長反対派を切り崩していった。そのお先棒を担いだのは日本ですよ。『唯一の被爆国』『非核三原則』と言いながら、核兵器廃絶の道を閉ざす条約の無期限延長に積極的に賛成に回る。これがわが国の非核政策の実態なんです」

 日本は広島、長崎の悲惨な体験から非核を誓い、平和の道を踏み出したはずである。だが、戦後の外交政策を見ると、憲法解釈という形で核兵器の保有の道を残し、一方で米の圧力に屈する形で核保有国と非核保有国を固定化するNPTに調印させられた。金子さんはそんな矛盾に耐え切れず外務省を離れ、フリーの立場で核兵器廃絶の道筋を研究する。

 昨年夏、「わが国の外交政策大綱案」という外務省の秘密内部文書(1969年)が明らかになった。その中に「当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的な能力は常に保持するとともに周囲からの干渉を受けないよう配慮する」(要旨)との記述があった。25年前とは言え、外務省が核兵器保有の可能性を残す文書を作っていたことに、国民の衝撃は大きかった。

 金子さんも科学課課長補佐として文書作りを手伝った。当時は、冷戦の真っただ中。中国が5年前に核実験に成功、ベトナム戦争は激化するなど国際情勢は緊張に満ちていた。他方、国内では沖縄返還交渉やNPT調印を控え、核兵器を含めた日本の安全保障が議論になる、そんな時期だった。

 「国際情勢がどう変わるか分らない。また将来、専守防衛に合致した核兵器が開発されるかも分らない。先に備えて核カードの選択肢は残すというのは外務官僚として、ある意味で当然の発想だったでしょう」と金子さんは振り返る。

 「核兵器と名がつけばすべて憲法違反だというのは、私の解釈論として正しくない」(岸首相・57年)

 「自衛に必要な核武装は憲法違反にならない」(池田首相・64年)

 非核三原則を打ち出した佐藤内閣も「未来に引き続いて(非核三原則の国会決議で)国民を縛るのはやや慎重さを欠く」(68年)。田中内閣も「核兵器のすべてが持てないということではない」(73年)との解釈を示した。

 日本政府はこのように、戦後一貫して「憲法上、自衛のための核兵器は持てる」との見解を取ってきた。NPT批准(75年)後は「条約の規制を受けるので従来の政府解釈は実体的な意味を失う」(宮沢外相)と、核兵器保有論は姿を消す。だが、その後の非核三原則法制化に慎重な政府の姿勢や、昨年の「核兵器使用は国際法違反とは言えない」という外務省の見解をみると、核カードの選択肢は残したいという意図を持ち続ける政府の本音が今も見え隠れする。

 新聞資料センター(東京)の調べでは、日本は核兵器不使用の国連決議に61年に賛成票を投じて以来、その後は常に「反対」ないし「棄権」に回ってきた。ここにも「被爆国」とかけ離れた現実がある。「米の核抑止力で防衛を確保している以上、米の機嫌を損ねるわけにはいかんでしょう」と金子さん。だが、外務省や自民党の一部には今でも米の「核の傘」が本当に有効なのか、日本の安全保障が未来永劫(えいごう)保たれるのかという疑問が常にあり、それが核カード保有論につながる。

 アジア諸国を始めとする国々には、政府のこうした姿勢が「日本の核武装化の下心」と映る。現実に日本が高度のロケット技術と相当量のプルトニウムを保有している以上、非核三原則などの歯止めがあるといっても疑惑の目はぬぐいきれない。金子さんは「海外は日本を被爆国というより準核保有国と見ていますよ」と言う。

 広島での会合を終えて東京に帰った金子さんは最近、「アジアトム」研究会というグループをつくった。アジア地域で原子力の軍事転用を防止するチェック機能を作り、その延長線上に東アジアの非核化をめざすという構想だ。

 「世界に非核地帯がどんどん広がれば核廃絶に近い効果が出る。被爆国にふさわしい仕事だと思うが、外務省はやらないでしょう。今の対米追随外交の方が楽だもの」と金子さん。そして「外務官僚に広島の原爆資料館を見学したことがあるかどうか聞いてみたらどうですか。きっと面白い結果が出ますよ」と皮肉っぽく笑った。

 被爆国日本の核政策は揺れ続けている。

 
栗栖弘臣元統幕議長に聞く

 政府のあいまいな非核政策の中で、自衛隊には常に核武装の疑惑の目が向けられてきた。現役時代に核武装論者といわれ、広島の十三師団長も務めた栗栖弘臣・元統合幕僚会議議長に自衛隊の核兵器に対する思いを聞いた。

 ▽核武装計画はない

 ・自衛隊に核戦略、核武装という計画ないし考えは存在したのでしょうか。
 全くなかった。議論さえなかったと言っていい。ただ、将来ひょっとして核兵器が使われるかも分からない。被害を軽減する方法は考えてきた。部隊の間隔をあけるとか。後は装備ですね。戦車、装甲車でも放射線に強い、完全に密閉できるようなもの、その程度です。個人的に研究していた人はいるかもしれないが…。

 ・図上演習もなかったのですか。
 ないですね。核そのもののデータがなかった。米国は教えてくれないですよ。公開のものだけでは、演習に取り込もうと思っても取り込めない。それに欧州の戦場では核兵器使用の可能性があったが、極東では疑問視されていた。最大の要素は世論の動向。核はタブー中のタブーでしょう。データもない、可能性も薄いときたら、そんな危ないことはしません。自衛隊の被害者意識は強いですからね。今もそうですよ。

 ▽「保有論」一石投ず

 ・63年、陸上自衛隊の連隊長(一佐)時代に核保有論を発表していますね
 仏の陸軍大に留学中、1人前の戦力として成り立つためには核兵器を無視してはいけないと痛感した。せめて自衛隊で関心を起こすべきではないかと、一石を投じたつもりだったが…。

 ・核兵器保有の議論が出てきたのは核拡散防止条約(NPT)への調印(70年)前後ですね。
 自民党の内部から「子孫の代までしばってよいのか」と疑問の声が出た。だから批准を延ばしていた。ちょうど私が統幕会議事務局長をしていたころ(74年)批准問題が出てきた。私は止めなきゃいかんというか、少なくとも自衛隊は意見を持つべきだという気になりまして、統幕会議に取り上げてもらった。統幕会議に核兵器が取り上げられたのは初めて。それ以降も無いでしょう。そこで批准すべきではないとの決議をした。

 われわれに批准をどうこうする権限はない。ただ兵器に関することに意見を求められないのはおかしいということで防衛庁長官に説明にいった。すると長官はみんなの意見を聞きたいという。議長と各幕僚長が呼ばれたのですが、だれも積極的ではないんですよ。「核武装してもしようがない」とか。この1件が自衛隊の核兵器に対する空気を象徴していますよ。

 ▽核の傘はトリック

 ・政府は「自衛のための核兵器は持てる」と一貫して主張していますが。
 持てると言ったってだれも持とうと考えた人はいないと思う。言葉のやりとりだけではないですか。NPTを批准したのだから核兵器は持てない。外務省は脱退規定があると言っているが、脱退すれば国際世論の袋だたきにあう。外務省も本気でそんなことは思っていない。反対派へのガス抜きだ。

 ・日本の防衛力は米の核の傘に依存していると政府は言っていますが。
 キッシンジャー元国務長官も米が核兵器を使うのは自国の国益が危なくなった時だけだと言っている。安保条約にも米が日本を守るとは書いていない。核の傘はトリックですよ。非核三原則も閣議にかけた方針だったのか、あやしい。総理がひょっと言って出てきたものでは。それがいつの間にか国是になった。核の問題に真正面から向き合うことを避けて来ただけでしょ。だからライシャワー元駐日大使が「核艦船は入港していた」なんていう話が出ると途端に対応に困る。

 ▽核は使えない兵器

 ・今でも日本の防衛に核兵器は必要と思っていますか。
 戦略核兵器は国際間で「にらみ合い」の道具として使われている。一方、戦術核兵器はこれまで「使える核兵器」と考えられてきた。しかし、今では、使えない兵器、意味がない兵器という意識が強くなってきたのではないか。湾岸戦争でも使われなかったし、研究によれば米は40回くらい使おうと思ったのが1度も使えなかったという。核兵器を持たなかったのは正しい選択だったのかな。ただ、日本は持つべきかどうかの議論も無かったが。

<参考文献> 「入江相政日記」(朝日新聞社編)▽「天皇語録」(由利静夫、東邦彦編)▽「新天皇家の自画像」(薗部英一編)▽「天皇ヒロヒト」(L・モズレー)▽「天皇裕仁の昭和史」(河原敏明)▽「核・天皇・被爆者」(栗原貞子)▽「ヒロシマ・25年」(中国新聞社編)▽「日本の核武装」(小山内宏)▽「国連と日本」(河辺一郎)

(1995年7月16日朝刊掲載)

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