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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 第1部 おびえる大地 <3> 畜産の村

■記者 山本洋子

搾った牛乳 捨てる毎日

 「すぐに避難しないと」。広島大大学院工学研究院の遠藤暁准教授(エネルギー工学)は、放射線を測定するガイガーカウンターの値に衝撃を受けた。

 3月末、京都大原子炉実験所の今中哲二助教(原子力工学)らと調査に入った福島県飯舘村。福島第1原発から北西約40キロの村にも、放射性物質は風で運ばれていた。この時まだ国は、放射性物質は同心円状に拡散すると考え、40キロ地点は安全とみていた。

 土壌の測定でも、最大で1平方メートル当たり406万ベクレルのセシウムを検出した。25年前のチェルノブイリ原発事故で居住禁止基準とされた値の約7倍だ。

ホットスポット

 放射性物質が局地的に集まる「ホットスポット」。チェルノブイリでも、原爆投下後に「黒い雨」が降った広島でも、同じような現象が起きた。

 牧草の汚染は村の畜産を直撃した。「搾って捨て、搾って捨て。やってられねえ」。村の酪農家を代表する長谷川健一さん(57)は毎朝、乳を畑に捨てた。国により原乳の出荷が制限されたからだ。あばら骨が浮き出た牛に向けられる目に悔しさがあふれる。「色もない、見えない放射線に暮らしを奪われてしまう」

 遠藤准教授の分析では、3月15日時点で「1日5ミリシーベルト」被曝(ひばく)する地点が村内にあった可能性も浮上した。発がんリスクが高まるとされる100ミリシーベルトを20日間で超える計算だ。住民から村は安全かと聞かれた遠藤准教授は「私なら子どもは避難させます」と答えた。

 村は計画的避難区域に指定され、今月15日から避難が始まった。「村を使って、土壌汚染を除去する国家プロジェクトをやってほしい」。菅野典雄村長は8日、役場を訪れた民主党の岡田克也幹事長に詰め寄った。全村避難が長引けば地域の絆が断たれる、との強い危機感からだ。

「置いていけぬ」

 「おれは残るよ」。親の代から村で牧場を営む細川徳栄さん(59)は子牛に餌をやりながらつぶやく。避難する農家などに懇願され、牛や馬300頭以上を預かった。衰弱したまま子牛を産み、死んだ母牛も多くいる。「物言わなくても家族だ。置いていけねえ。放射能に負けるかよ」

 今中助教は「今後、問題になるのはセシウムによる内部被曝。住民が定期的にチェックできる仕組みが必要だ」と指摘。汚染地域の住民を対象に被曝リスクの指標づくりを急いでいる。「残るか、去るか。決めるのは住民。私たちの使命は最善を尽くして判断の指標を示すことだ」

(2011年5月18日朝刊掲載)

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