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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 第2部 浜通りの50人 <4> 東電の隠蔽体質

■記者 河野揚、下久保聖司

「住民軽視」募る不信感

 福島第1原発事故をめぐり「隠蔽(いんぺい)体質」と批判される東京電力。「その体質は、今に始まったことではない」。原発から6キロの福島県浪江町で漁業を営んでいた鈴木幸治さん(58)は語気を強める。

 2006年、原子炉温排水が流れ出る場所の海水温を19年間にわたって、1度低く改ざんしていたことが発覚した。今回も事故後、漁協に無断で放射能汚染水を海に流したことに憤る。「東電にとって、海はたれ流しの場という認識。漁師は漁業補償すれば、大丈夫と思っているんだろう」と悔しさをにじませる。

報道されぬ火災

 運転開始から40年たつ福島第1原発は過去にも、原子炉の建屋火災を起こしている。大熊町の元原発作業員吉田稔さん(63)は「構内で小さな火災は何度かあった。でも新聞記事になったのを見たことはない」と明かす。

 大熊町の菊地マチ子さん(59)は町内の東電保養所で、調理スタッフとして約3年間働いた。夜の宴会が突然キャンセルされることが年に数回はあったという。「職場のみんなが言っていたのよ。原発で何かトラブルがあったはずだって」

 そんな中、20年以上にわたって原発を監視してきた住民がいる。大熊町の大賀あや子さん(38)。避難所生活を送る今「最も恐れていた事態。広島・長崎に続き、核被害を繰り返したことがつらい」とこぼす。

 1985年、中学1年の時に広島市中区の原爆資料館を訪れ、放射線が人体に与える影響に衝撃を受けた。翌年起きたチェルノブイリ原発事故を機に、脱原発を訴える市民団体に参加。高校生だった89年に福島第2原発がトラブル隠しで運転停止になると、地域を回って原発の危険性や放射線の脅威を訴えた。

変わらない答え

 市民団体はこれまで月1回、東電との話し合いの場を持ち、情報公開を求めてきた。しかし何を尋ねても、東電の答えは「安全に管理している」だけ。今回、事故の謝罪をする東電関係者をテレビで見て、大賀さんは思う。「彼らにとって、頭を下げるのは簡単。でも、不利な情報は極力出したくない。そこに住民軽視の姿勢が見える」

 今、福島県内などの約100人の母乳に含まれる放射性物質の量を調べている。「国がしっかり調べないから、自分たちでやる。そうでないと、今の福島では命と健康が守れない」

(2011年6月20日朝刊掲載)

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