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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 第2部 浜通りの50人 <5> 甘すぎた想定

■記者 下久保聖司、河野揚

「三重苦」の確率 直視せず

 福島県富岡町の北村俊郎さん(66)は自らを納得させるかのようにつぶやいた。「原発を造り、安全性を社会に訴える。それが私の職業人生だよ」。電力会社や原発メーカーなどでつくる社団法人日本原子力産業協会(東京)の参事。福島第1原発事故の避難者の一人でもある。

「1万年に1回」

 住んでいたのは、原発の南7キロ。「原発で緊急事態。ただちに避難を」。東日本大震災から一夜明けた3月12日朝、町の防災放送が告げた。

 停電でテレビもインターネットも見られない。「原発は何重にも安全対策をしている。重大事故にはならんだろう」。持ち出す物をかばんに詰めながら高をくくっていた。

 町が指示した避難先。集まったのは多くが高齢者や子ども連れだった。若者は少ない。「後に知ったが、携帯電話のメール交換などで情報をつかんだ人は、より遠方に逃げていたらしい」

 原子力業界に身を置いて40年余り。茨城、福井県の原発に勤めた。事務方としての仕事は、立地交渉や住民説明など。重大事故の確率を問われると「1万年に1回あるかないか」と答えた。

 それが起きた。

 「政府も、われわれ原子力業者も、地震、津波、原発事故という三重苦が起こりうることに目をそむけた。当然ながら、事故の想定は甘い」

訓練は2日のみ

 避難所生活の中で、原発内がどう収束に向かっているのか、住民はこの先どうなるのかなど、重要な情報が知らされていないと痛感する。「政府や東電の隠蔽(いんぺい)体質はもってのほか。ただ甘い事故想定の中で、どう正確な情報提供をするのかなんて考えていなかったはずだ」と指摘する。

 原子力災害訓練はほぼ毎年実施してきた。昨年は11月。「福島第1原発の5号機で全電源喪失。煙突から、放射性物質が漏れた」との想定だった。国や県、地元自治体が参加したが、訓練に費やしたのは2日だけだ。

 県地域防災計画の対策重点地域(EPZ)は原発から半径8~10キロ。指令拠点となるオフサイトセンターの建物は5キロの場所。原発のすぐそばに重要施設を造っていた。今は立ち入り禁止の警戒区域(20キロ圏内)。県災害対策本部原子力班の担当者は「そもそも、今回のような事態を予想していなかった」と認める。

 原発事故で、今も10万人近くが避難生活を強いられている。北村さんは今すぐやるべきことは、情報の透明化だと強調する。「そうしないと人々の心は、原子力からどんどん離れていくばかりだ」

(2011年6月21日朝刊掲載)

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