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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 第3部 被爆地の変化 <4> NPT頼み

■記者 金崎由美、山本洋子

核利用肯定 ジレンマ

 日本被団協が12、13の両日、東京都内で開いた代表理事会。この場で本年度の運動方針に「脱原発」を盛り込むことが正式に決まった。

 「私たちは放射能に苦しんできた。原発災害の被害者も同じだ」。愛媛県原爆被害者の会の松浦秀人事務局長(65)=松山市=は、四国電力に対し伊方原発の老朽化した1、2号機の廃炉、3号機の再稼働の延期を要請したことを報告。「日本被団協の方針決定を受け、さらに活動を加速させたい」と、近く発足する原発反対の地元団体に参加する考えを示した。

被爆者に温度差

 原子力の「平和利用」。被爆者の核兵器廃絶の訴えは今、そことの距離感に戸惑う。積極的な反対がある一方、慎重論もある。

 広島県被団協の理事長でもある坪井直代表委員(86)は昨年5月、核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれた米ニューヨークに渡った。集会などで核兵器廃絶を訴える先頭に立った。

 NPTは現在、唯一の多国間の核軍縮条約。しかし「NPT体制強化の訴えは、同時に原発促進にもつながるという難しさがある。核兵器の数が減っても世界の核被害者はむしろ増えるかもしれない」とジレンマを口にする。

 NPTは、核兵器を持つことを放棄し、核不拡散に取り組む国に対し「奪われることのない権利」として原子力の平和利用を保障するからだ。

原発と向き合う

 広島市の松井一実市長は2015年の次回再検討会議を誘致する考えを示す。坪井さんは、NPTの重要性や、各国代表が被爆70年の年に被爆地に集う意義を評価。同時に、県被団協初代理事長の故森滝市郎氏が残した「核と人類は共存できない」との言葉をかみしめる。

 そして思う。「もうNPT頼みの訴えをずっと続けるわけにはいかない。脱原発の取り組みを、これまでの核兵器廃絶の訴えとどうリンクさせるかをしっかりと考えないといけない」

 米国の軍縮教育の専門家の呼び掛けに応じ、個人の立場で被爆証言活動をする田中稔子さん(72)=広島市東区。

 福島第1原発事故後の5月にも、ニューヨークの高校にいた。被爆時に大やけどを負い生死の境をさまよった体験、平和への思いなどを生徒に語った。

 「必ずフクシマについて聞かれた。『事故をどう思うか』『被爆者たちはなぜ原発を容認してきたのか』と」

 うまく言葉で表現できないもどかしさ。それでも「もう二度とヒバクシャを出してはならない」という思いは伝えた。

 「原発の問題から目を背けたままの証言活動ならば、もはや世界で説得力を持たないのではないか」。今、そう感じている。現在の核の被害とどう向き合い、何を語るのか、世界から問われた気がしている。

(2011年7月17日朝刊掲載)

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