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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 原発の爪痕 なお深く 

震災半年「浜通り」50人の今

 福島第1原発事故から半年が過ぎた。10万人以上が住む家を追われ、今なお避難生活を送る。福島県東部の通称「浜通り」に暮らしていた50人も同様。大半が自宅に戻れていない。原発からは放射性物質の放出が続き、土や海は汚染されたままだ。この間、政治は何をしてきたのか。住民はヒロシマに何を期待するのか―。50人の今を追った。

≪健康≫

被曝不安拭えず/検査 一刻も早く

 「私はヒバクシャ。そのことは一生、頭から離れないと思う」。原発から9キロの浪江町に住んでいた鈴木千尋さん(18)。8月中旬、全身の内部被曝(ひばく)量を測定するホールボディーカウンター(全身測定装置、WBC)検査を受けた。

 結果は、機械の「検出限界値以下」。ただ検査担当者の言葉が忘れられない。「被曝量がゼロというわけではないですよ」。将来、子どもを産みたいという鈴木さん。担当者に遺伝的影響を尋ねた。返ってきたのは「さあ、どうでしょう」。心は晴れない。

■ □

 今回聞き取り調査した浜通りの50人のうち、既に検査を受けていたのは8人。いずれも「検出限界値以下」で、この結果に4人は「安心した」と評価した。残る4人は、長期的な影響に対する不安を拭いきれないと話す。

 受けていない42人の中で34人は検査を希望する。ただ装置不足もあり、大半の福島県民はWBC検査を受けるめどさえ立っていない。

 この間にも、放射性物質は尿などで排出され、被曝量の特定は難しくなる。「国は一刻も早く、全員を検査できる態勢を整えるべきだ」と、浪江町の医師関根俊二さん(69)は訴える。

 幼い子どもを持つ親も気が気でない。2歳の一人娘がいる標葉知亨(しねは・ともこ)さん(27)。原発から22キロの南相馬市で、事故後も10日近く暮らした。「ごく微量でも、この子が被曝したのは事実。将来を考えると…」。母は目を赤くした。

 数年から数十年後に、がんなどとして現れる被曝の晩発性障害は住民不安の大きな部分を占める。双葉町の小畑明美さん(44)は事故翌日から避難し、今は小学1年の息子と埼玉県で暮らす。当面、福島に帰るつもりはない。「子どもが何かの病気になった時に、親としても後悔したくないから」

□ ■

 ヒロシマの蓄積は生かされているのか―。飯舘村の佐藤八郎さん(59)にとって「頼りになる存在」は、わたり病院(福島市)の斎藤紀(おさむ)医師(64)。広島で三十余年、被爆者を診た。「何かあればすぐに相談している。あまり心配しないでって言われると安心するんです」

 飯舘村の佐藤健太さん(29)も、ヒロシマを頼る。「個人の被曝証拠を残したい」。事故後の詳細な行動を記録する手帳を作り、近く村民に配る準備を進めている。相談したのは広島県被団協(金子一士理事長)。「行動記録は証人がいると重みが増す」「記入項目に既往症を入れると、被曝との関係が浮かび上がる」。助言を取り入れた。

 「自ら動かないと、事態は変わらない」と佐藤さんは感じている。ヒロシマ、ナガサキの被爆者救済も、国の動きは遅かった。

≪避難生活≫

家に戻れるのか/広島の復興過程に関心

 福島市郊外の工業団地。その一角に7月末、福島県飯舘村からの避難者約400人が暮らす仮設住宅ができた。管理人を務めるのは、佐藤美喜子さん(60)。村婦人会長でもあり、避難前は夫と畜産を営んでいた。

 毎日昼が近くなると、佐藤さんは敷地内を歩いて回る。カーテンが開いていない部屋を見つけると、窓をノックする。「お年寄りの安否確認ですよ」。先日は、知人にもらった花の苗を各世帯に配った。「多くの人が、事故前は農家。みんな土が恋しいと思って」

■ □

 福島第1原発から約40キロ離れた飯舘村。放射性物質が局地的に集まる「ホットスポット」になった。6千人余りの村民全員が避難を強いられた。うち約1200人は、9カ所の仮設住宅に暮らす。

 浜通りの50人のうち、避難生活を続けているのは46人。多い人は12カ所を転々とした。遠方では山形県や神奈川県に逃れた人も。双葉町が役所機能を移した埼玉県加須市でも3人が生活する。その一人が中村富美子さん(60)。「精神的な疲れもピーク」。周囲の住民も、ストレスが色濃いという。

 50人に「今後、最も不安なことは」と尋ねた。「家に戻れるか」が最多の14人。次いで「原発が収束しないこと」が11人だった。この問いに考えあぐねたのは、浪江町の山田四郎さん(72)。

 「古里には戻りたい。でも、現実問題として当分無理では」

 山田さんは、双葉地方農済組合長。農家の視点で問題を捉える。「国は土を除染すると言うが、山全体は無理。雨が降れば汚染は広がる」。聞き取り取材では、他にも「子どもが戻らない街に将来はあるのか」といった悲観の声も聞かれた。

 半年を過ぎても将来を見通せない不安は、政治に対する不満につながっている。8月末、浪江町議会の代表が、福島市内に避難している町民と向き合った会合。「国や東電との賠償交渉に、もっと厳しい姿勢で望むべきだ」。鈴木幸治さん(58)が詰め寄った。

 鈴木さんは津波で家を流され、漁業を再開するめども立たない。「国、地方とも政治の力が問われている」。その訴えに、参加者から拍手が起きた。

□ ■

 「福島の再生なくして日本の再生なし」。今月2日、野田佳彦首相は就任会見で語った。ところが、現地視察をした鉢呂吉雄経済産業相が報道陣に「放射能をうつす」などと発言。震災半年を翌日に控えた10日、引責辞任した。被災地は憤り、失望もした。

 先が見えず、数々の苦難が予想される復興への道筋。「ヒロシマはどうだったのか」。浜通りの50人には、そんな連想をする人もいる。福島第1原発が立地する大熊町の菅波佳子さん(40)。「広島の被爆医療や放射線量の調査手法なども教えてほしい」。半年を過ぎ、より身近な存在になったと感じている。

①原発事故当時の住所。かっこ内は現在の状況
②職業
③意見

●岡恵輔さん(31)
①南相馬市(自宅)
②市消防団員
③実家は酪農業。事故で乳牛など計46頭を売り払った。6月から繁殖用の牛計8頭を購入。初出荷には2年かかる見込みだ。「国は、賠償金の支払いを早く始めてほしい」

●小林綾子さん(51)
①南相馬市(自宅)
②主婦
③雨どい下の土は毎時100マイクロシーベルトを計測しているのに、避難区域指定から外れた。「国は納得いく説明を」。20歳代の娘2人の健康が心配。汚染土を瓶詰めして保管している。

●標葉知亨(しねは・ともこ)さん(27)
①南相馬市(相馬市に転居)
②主婦
③夫の実家の墓は立ち入り禁止の警戒区域内。お盆に墓参りもできなかった。「国は日本人の心を大事にすべき」。区域外に墓を建て直す方向で夫と検討している。

●鈴木辰弥さん(29)
①南相馬市(同市内に避難中)
②とび職
③長女(11)と長男(9)が8月上旬、市立総合病院で内部被曝検査を受けた。2人とも検出限界値以下。国に対し「今後も定期的に検査できる態勢を整えてほしい」。

●鈴木昌一さん(57)
①南相馬市(自宅)
②材木店経営、市議
③従業員4人の材木店は苦しい状況が続き、雇用維持に悩んでいる。市内の汚染土の除染について「国は、より具体的なスケジュールを示すべきだ」と求める。

●山崎健一さん(65)
①南相馬市(川崎市に避難中)
②元高校教師
③「県は健康管理調査をするだけでなく、治療態勢も整えて」。被爆者を治療しなかった原爆傷害調査委員会(ABCC)の二の舞いは避けるべきと訴える。

●愛沢卓見さん(40)
①飯舘村(福島市に避難中)
②県職員
③村が放射性廃棄物を一時的に保管する「仮置き場」の村内への設置を検討していることに驚いた。「重大なことは、住民の理解を得た上で進めるべきだろう」

●小林麻里さん(46)
①飯舘村(福島市に避難中)
②NPO法人職員
③放射線に関するさまざまな情報に翻弄(ほんろう)され、精神的に疲れている。何を信じていいのか分からない状況。「住民の精神的なケアを」と求める。

●佐藤健太さん(29)
①飯舘村(福島市に避難中)
②村商工会青年部副部長
③村は放射線量が高かったのに、避難指示が出るのが遅かった。「国はすべての情報を開示し、住民が今後行動する際の判断材料を提供するべきだ」

●佐藤忠義さん(67)
①飯舘村(伊達市に避難中)
②農業
③放射能の土壌汚染を心配している。知りたいのは復興のめど。「無理なら無理だと国は本当のことを知らせるべきだ」。生活再建の見通しも立たず、いらだちが募る。

●佐藤八郎さん(59)
①飯舘村(福島市に避難中)
②農業、村議
③原爆の日、広島の被爆者たちと意見交換した。「国は、被爆者の内部被曝を過小評価してきた。今回の原発事故も同じ考えでは、福島県民は許さないだろう」

●佐藤美喜子さん(60)
①飯舘村(福島市に避難中)
②村婦人会長
③「村の自慢」と思っていた地域コミュニティーが原発事故で失われた。「仮設住宅に農園や花壇を開けば、生きがいになり、会話も生まれてくるのではないか」

●高野健一さん(60)
①飯舘村(相馬市に避難中)
②会社員、畜産業
③放射能まみれの土をきれいにするよう、村長を通じて国に要望を続けている。「行動を起こさないと、いつまでも見通しの立たない生活が続く」

●長谷川義宗さん(32)
①飯舘村(山形県に避難中)
②酪農業
③山形県の牧場で8月上旬から働いている。飯舘村には戻れないという覚悟もしている。「福島県内でもう一度酪農を営みたい」。国の支援の必要性を訴える。

●鎌田正子さん(60)
①葛尾村(三春町に避難中)
②養豚業
③家具や食器を買いそろえると、賠償金はすぐなくなった。夫は仕事を失い、落ち込んでいる。「国は、避難者向けの農園開設など自立支援の取り組みをするべきだ」

●松本文男さん(59)
①葛尾村(三春町に避難中)
②土木作業員
③病気の母(88)と弟(54)と3人で避難生活を続ける。家は立ち入り禁止の警戒区域内。国に早期除染を求める。「母が動けるうちに帰らせてあげたいんです」

●菊地彩さん(17)
①浪江町(二本松市に避難中)
②高校生
③避難先でも、新しい友達ができた。内部被曝検査の結果は「検出限界値以下」。でも将来の健康について「不安が消えたわけではない」。国にフォローを求める。

●佐藤秀三さん(66)
①浪江町(二本松市に避難中)
②種苗業
③不安なのは、地域コミュニティーの崩壊。同じ行政区だった住民が仮設住宅や避難所でばらばらに散らばった。「行政区単位で住民が集まれる機会を設けて」

●志賀誠一さん(57)
①浪江町(二本松市に避難中)
②飲食店経営
③警戒区域の浪江町内には放射能汚染のがれきが放置されたまま。いつまでたっても自宅に帰れず、町の復興も進まない。「国は早急に処理方法を考えて」

●鈴木千尋さん(18)
①浪江町(いわき市に避難中)
②高校生
③原発事故後、家族と離れ、いわき市で1人暮らしをしている。「余震のたびに、原発がまた爆発するのではないかと不安」。国には、事故の早期収束を求める。

●鈴木幸治さん(58)
①浪江町(福島市に避難中)
②漁業
③弟と一緒に乗っていた漁船は、警戒区域となった浪江町の漁港に放置したまま。「魚がうまい秋に出漁できないのは残念」。漁業復活の道筋を示すよう国に求める。

●関根俊二さん(69)
①浪江町(二本松市に避難中)
②医師
③健康被害を心配する町民から、県外への避難についての相談を受けている。求めるのは、ヒロシマの蓄積の活用。「内部被曝の影響を詳しく調べる必要がある」

●門馬嘉彦さん(32)
①浪江町(福島市に避難中)
②シンガー・ソングライター
③浪江町にはまだ多くの行方不明者がいるが、大規模な捜索活動は打ち切られた。「早く原発事故を収束させ、友人達を見つけてほしい」

●山田四郎さん(72)
①浪江町(福島市に避難中)
②双葉地方農済組合長
③「国は警戒区域の土地を借り上げ、住民が集団移住できる都市をつくるべきだ」。汚染土が完全にきれいになるまでは、そこに住むしかないと考える。

●渡辺直さん(14)
①浪江町(二本松市に避難中)
②中学生
③内部被曝検査の結果は「検出限界値以下」だが、事故後から、喉に違和感を感じている。「家には戻れないかも。国には生涯にわたり健康検査をしてほしい」

●猪井美穂さん(23)
①双葉町(埼玉県に避難中)
②小学校非常勤講師
③原発事故直後、避難所の炊き出しなどで屋外にいた。知りたいのは、自分の正確な被曝量。「希望者全員が内部被曝検査を受けられるようにすべきだ」

●小畑明美さん(44)
①双葉町(埼玉県に避難中)
②農協職員
③避難生活が長期化し、体調が優れない。「みんな精神的なストレスがたまっている。政府は大きな復興を語るだけでなく、避難者の『今』に目を向けるべきだ」

●土田芳則さん(62)
①双葉町(いわき市に避難中)
②元大工
③避難所の閉鎖に合わせ、9月初めから被災者用の借り上げ住宅に移った。「いつまでこの生活が続くのか。もう町に戻れないだろう」。あきらめも口にする。

●中村富美子さん(60)
①双葉町(埼玉県に避難中)
②町婦人会長
③埼玉県の避難先から、福島県に戻る町民が増えている。今は自己判断に委ねられている。「国や町は、住民の判断材料になる情報をもっと提供するべきだ」

●羽山文人さん(35)
①双葉町(埼玉県に避難中)
②鉄工所経営
③世話になってきた取引先に買掛金を払えなくて困っている。「賠償方針を決める際に、避難者が身近に困っていることにもっと耳を傾けてほしい」と切望する。

●谷津田光治さん(70)
①双葉町(田村市に避難中)
②農業、町議
③「福島の再生なくして日本の再生なし」と発言した野田佳彦新首相に期待を掛ける。「着実に復興対策が進んでいると実感できれば、避難生活も多少我慢できる」

●秋本正夫さん(71)
①大熊町(会津若松市に避難中)
②釣具店経営、町民生児童委員協議会長
③「仮設住宅での独り暮らしの高齢者の生活支援が課題」。民生委員は見回り活動を計画しており、県や町の協力を求める。

●尾内武さん(62)
①大熊町(会津若松市に避難中)
②農業
③精神的ストレスで糖尿病が悪化し、8月下旬から入院中。「県民健康管理調査は被曝影響を調べるだけでなく、避難者のメンタルケアにもっと力を入れてほしい」

●大賀あや子さん(38)
①大熊町(会津若松市に避難中)
②農業
③県民に対し根拠のない偏見が増えるのではないかと心配している。「広島の被爆者はどんな苦しみを体験し、それを防ぐためどのような対策をしたんでしょうか」

●菊地マチ子さん(60)
①大熊町(会津若松市に避難中)
②パート従業員
③国会議員の「内輪もめ」にうんざりしている。「避難者と一緒に暮らせば、本気で復興対策を考えるだろう」。避難者の声が国に届いていないと感じる。

●佐藤真さん(64)
①大熊町(いわき市に避難中)
②畳製造業
③疑問と憤りを感じるのは、賠償方針を決める原子力損害賠償紛争審査会に、避難者が加わっていないこと。「直接、現地での苦しみを聞くべきではないか」

●志賀秀栄さん(69)
①大熊町(福島市に避難中)
②JAふたば組合長
③今必要なのは農地の除染。少しずつ放射線量を下げ、農業が営める状態に近づけてほしい。「農家がその進展を実感できるよう目に見える形でするべきだ」

●菅波佳子さん(40)
①大熊町(福島市に避難中)
②司法書士
③家も仕事も失った避難者が多く、自立支援が大事と思っている。知りたいのはヒロシマが歩んだ道。「行政は被爆者支援や、街の復興プロセスを参考にすべきだ」

●吉田稔さん(63)
①大熊町(会津若松市に避難中)
②元原発作業員
③「もう高齢」と、自分の内部被曝については冷静に受け止める。ただ「国は希望者全員が内部被曝検査を受けられるよう、取り組むべきだ」と求める。

●渡辺信行さん(58)
①大熊町(会津若松市に避難中)
②建設会社会長、町議
③国が警戒区域の土地買い上げを示唆したことに「時期尚早」と憤る。「まずは徹底除染。それでも居住不可能なら初めて買い取りを言うべきだ」

●安藤治さん(62)
①富岡町(三春町に避難中)
②農業、町消防団長
③「国内の原発は、もうなくすべきだ」と考える。期待するのは、被爆地の訴求力。「長崎市長のように、広島市長も脱原発のメッセージを発信して」

●北村俊郎さん(66)
①富岡町(須賀川市に避難中)
②日本原子力産業協会参与
③避難者の中には、インターネットを使えない高齢者も多い。「情報格差があってはならない。町は情報が平等に伝わる努力をしてほしい」

●関友幸さん(65)
①富岡町(いわき市に避難中)
②農業、町議
③「国は、避難者が安心して生活できる補償を考えてほしい」。一度に賠償金をもらうと生活設計がしにくい。年金のような支給方法が理想的と考える。

●関根美佐夫さん(62)
①富岡町(三春町に避難中)
②元とび職
③原発事故直後は気が張っていたが、今は酒ばかり飲んでいる。「国は、高齢者が仕事や趣味を探せる環境を整えてほしい」。大事なのは生きがいと感じている。

●秋元公夫さん(63)
①川内村(田村市に避難中)
②双葉地方森林組合長
③双葉地方の山林は原発事故で手入れができず、荒廃が進む。「放射線量が低いエリアから伐採を再開するべきだ」。雇用対策にもなると考えている。

●佐久間義豊さん(29)
①川内村(郡山市に避難中)
②元自動車修理会社員
③原発事故後、無断で職場を離れ、解雇された。信頼を取り戻そうと無給で手伝う日々。「仕事が増えれば再雇用されるかも。早く復興の道筋を」

●佐久間知導さん(29)
①楢葉町(仙台市に避難中)
②住職
③仮設住宅の入居先が決まっていないのに、8月で避難所が閉鎖された。「あちこちを転々とする生活はもううんざり。国は、早く落ち着ける場所を用意してほしい」

●松本一弘さん(41)
①楢葉町(会津美里町に避難中)
②電気工事会社員
③勤め先が警戒区域内にあり、休業状態が続いている。「休業手当や賠償金だけでは、新築した自宅のローンを返せない」。休業者対策を求める。

●阿部理恵さん(40)
①広野町(いわき市に避難中)
②主婦
③自宅は立ち入り禁止区域外で、夏休みに何度か泊まった。大熊、双葉町の友人から「もう古里帰還は無理」との弱音を聞く。「土地除染の具体的計画が知りたい」

●小松和真さん(42)
①広野町(いわき市に避難中)
②町職員
③放射線量の比較的低い地域に自宅がある。復興に向けた課題として、土地の除染とともに「公共交通機関や買い物場所など生活基盤の再構築が必要」と訴える。

≪福島第1原発事故をめぐる主な動き≫

3月11日 宮城県三陸沖を震源とするマグニチュード(M)9.0の地震が発生。福島第1原発の1~3号機が緊急停
       止。政府は原子力緊急事態宣言を発令し、半径3キロ圏内に避難指示
  12日 避難指示を半径10キロに拡大。原発1号機で水素爆発後、避難指示は半径20キロに
  15日 原発2、4号機で水素爆発。政府が半径20~30キロの住民に屋内退避を指示
  19日 福島県双葉町がさいたま市に役場機能を移転
  21日 厚生労働省が福島県飯舘村の水道水から基準値の3倍を超える放射性ヨウ素が検出されたと発表
  23日 福島県内で避難者向けの仮設住宅が着工。政府が緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム
       (SPEEDI)の放射性物質の拡散試算を公表
  28日 東京電力が原発敷地内からのプルトニウム検出を発表
  30日 飯舘村で、国際原子力機関(IAEA)が独自に定める避難基準を上回る放射性物質が検出されたことが判
       明
4月 2日 広島大と福島県立医科大が連携協定を締結
   4日 東電が原発の低濃度汚染水を海に放出
   5日 茨城県沖で捕れたコウナゴから放射性セシウムが検出されたと地元漁業団体が発表
  10日 厚労省が飯舘村のシイタケから暫定基準値を超える放射性セシウムが検出されたと発表
  12日 経済産業省原子力安全・保安院が、事故の深刻度を国際評価尺度で最悪の「レベル7」に引き上げ
  14日 政府の復興構想会議初会合
  15日 東電が1回目の賠償金仮払いを1世帯100万円と決定▽文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が初
       会合
  17日 東電が事故収束に向けた工程表を発表
  19日 政府が、子どもの校庭などで浴びる線量の上限を年間20ミリシーベルトとし、福島県内13校の屋外活動を
       制限
  21日 福島県内の避難者が仮設住宅への入居を開始
  22日 政府が警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域を設定
  27日 福島県郡山市が、校庭の表土を削り取る作業を開始
5月 1日 菅直人首相が仮設住宅について「(お盆までに)すべての希望者が入れるようにする」と宣言
   6日 政府や米国などが合同測定した放射線量マップを公表
  10日 警戒区域の一時帰宅が福島県川内村の住民から始まる
  15日 飯舘村で全村避難が開始▽東電が1号機で3月12日にメルトダウン(炉心溶融)したとする暫定解析を発
       表
  16日 福島県立医科大で消防士や警察官の内部被曝検査を開始
  21日 東電が3号機から海に放出された放射性物質の総量を20テラベクレル(テラは1兆)と公表
  27日 福島県の県民健康管理調査検討委員会の初会合
6月 1日 警戒区域内の自家用車の持ち出しが開始
   2日 菅首相が原発事故収束などに「一定のめど」がついた段階で退陣する意向を表明
   6日 文部科学省が福島県全域と周辺の約1万地点で、土壌汚染の大規模調査を開始
   7日 国が、原発1~3号機でメルトスルー(溶融貫通)が起きた可能性があるとする報告書をIAEAに提出
       ▽政府の事故調査・検証委員会が初会合
  22日 飯舘村が福島市飯野支所に村飯野出張所を開設
  27日 福島県の県民健康管理調査の先行調査が始まり、浪江町の10人が放射線医学総合研究所(千葉市)で
       内部被曝を検査▽福島県の佐藤雄平知事が「脱原発」方針を表明
  30日 政府が福島県伊達市の113世帯を「特定避難勧奨地点」に設定
7月 5日 東電が2回目の賠償金の仮払いを1人30万円と発表
   8日 ホールボディーカウンター5台と、30万人分の線量計購入など約259億円の福島県補正予算案が可決
  11日 福島県南相馬市が市民のホールボディーカウンター検査を開始
  19日 政府が福島県の肉牛の出荷停止を指示
  22日 福島県と関係市町村が県内の避難所を10月末で全面閉鎖する方針を決定
  24日 福島県が事故当時18歳以下の36万人への甲状腺検査などを盛り込んだ詳細調査の概要を決定
  25日 政府が緊急時避難準備区域の解除に向けた計画を発表
  28日 広島大と福島大が連携協定を締結
  31日 福島市で原水爆禁止世界大会福島大会
8月12日 放射線影響研究所(広島市南区)と福島県立医科大が連携協定を締結
  17日 政府が、3月下旬に実施した子ども約1150人の甲状腺検査結果を発表。内部被曝の確認は45%
  25日 政府が福島県の肉牛の出荷停止を解除
  26日 原発から半径3キロ圏内の福島県大熊、双葉町民が初めて一時帰宅
  27日 菅首相が、放射性物質を含むがれきなどの中間貯蔵施設を福島県内に設置したい意向を示す
  29日 賠償のトラブルの和解を仲介する「原子力損害賠償紛争解決センター」が東京都内で開所
  30日 菅内閣が総辞職、民主党の野田佳彦代表が新首相に選出される
  31日 郡山市の「ビッグパレットふくしま」に置いていた避難所が閉鎖
9月 4日 細野豪志原発事故担当相が福島第1原発を放射能汚染がれきの中間貯蔵施設の候補地として検討する
       考えを示す
  10日 鉢呂吉雄経済産業相が、福島視察後に「放射能をうつす」などと発言した責任を取り辞任

福島県の県民健康管理調査
 約200万人の全県民に対する問診票の「基本調査」と、甲状腺の超音波検査などの「詳細調査」を2段階で進める。

 基本調査の問診票は8月下旬から順次送付。原発事故後の行動記録や滞在先を記入してもらい、国の放射線量測定値などと付き合わせて個人の外部被曝線量を推定する。

 詳細調査は10月からの予定。甲状腺検査は事故当時18歳以下だった約36万人が対象で、2014年3月までに最初の検査をし、その後も生涯にわたり定期的に続けるという。避難区域の住民たち約20万人は健康診断で、血液や尿を細かく調べる。原発事故の精神的影響を調べる調査や、妊産婦へのアンケートもする。

 放射線量が高い浪江町や飯舘村など一部地域では6月下旬から先行調査をしている。(下久保聖司、山本洋子、河野揚)

(2011年9月14日朝刊掲載)

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