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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 第7部 復興と現実 <2> 仮置き場

土地の提供 苦しい決断

 細野豪志原発事故担当相ら閣僚は言葉に力を込める。「徹底的に除染する」「コストを度外視して取り組む」。現実はしかし、厳しい。放射能を帯びた土や草木を、まずどこに持って行くのか。仮置き場の場所をめぐり、福島県内では混乱が続いている。

 「放射能汚染物 持込 大反対」「子どもを守って」。福島第1原発の北西約60キロ。伊達市の山舟生(やまふにゅう)地区の道端には立て看板が並ぶ。

山里挙げて抗議

 発端は8月だった。市が、近くの採石場跡地を除染廃棄物の仮置き場にする意向を示したのだ。「地下水が汚染される」「健康不安で、子どもが住まなくなる」。約960人の山里は、足並みをそろえて抗議を始めた。

 除染で生じる廃棄物は膨大な量になる。国は市町村ごとの仮置き場確保を求めた。そこでの保管期間は3年程度。その後、大規模な中間貯蔵施設に集約する。さらに30年以内に、県外に最終処分場を用意する計画を立てている。

 「除染を進めるには、仮置き場の確保が大前提」。国はそう繰り返すにとどまる。しかし被曝(ひばく)の不安を押し殺してまで仮置き場に手を挙げる人はいない。そしてそれがない中で除染は進まず、復興も現実味を帯びない。

 翻って66年前、ヒロシマは放射能汚染土をどう処分したのか―。

 「結論から言うと、特別な対策はしなかった」。被爆者でもある葉佐井博巳・広島大名誉教授(原子核物理学)は、そう説明する。

がれきを素手で

 放射線の人体への影響について、市民も行政も知らなかった時代。がれきは素手で撤去し、爆心地近くは土を盛った。今も平和記念公園(広島市中区)の下には当時のがれきが埋まっている。実際2000年には、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の建設工事中、地表から約15センチ下の層で焼け焦げた瓦やれんがが見つかった。

 原爆で放出されたセシウムの量は、福島第1原発事故の168・5分の1。「残留放射能も2週間後には人体に影響のないレベルまで下がったと考えられる」。残念ながらその経験はフクシマで生かせそうにない。

 正月が近づく。「誰しも新年を子どもや孫と一緒に迎えたいでしょう」。伊達市下小国地区で農業を営む佐藤幹夫さん(70)。仮置き場として、山林の一部約1400平方メートルを市に貸し出した。おかげで、地区内の10戸の除染が進んでいる。

 「誰かが犠牲にならないと、物事は進まねえから」。佐藤さんは、自らを納得させるようにつぶやく。「犠牲」という言葉はあまりにも重い。(下久保聖司、河野揚)

(2011年12月7日朝刊掲載)

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