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3.11とヒロシマ

『フクシマとヒロシマ』 放射能 終わらぬ闘い 原発事故1年 「浜通りの50人」の今

 福島第1原発事故から1年。「目に見えず、においもない放射能」は、福島県民約16万人の帰宅をなお阻む。「いつ古里に戻れるのか」「放射能との闘いに終わりはあるのか」。胸を突く郷愁。先が見えず、地域の絆が分断される不安も募る。間もなく春。「浜通りの50人」の今を追った。(下久保聖司、山本洋子、衣川圭、河野揚)

避難生活

滞る除染 帰村か移住か

 事故後、福島県の人口は4万人余りも減り、33年ぶりに200万人を割り込んだ。

 「あの日も雪が降ったな」。雪をスコップでかき出しながら、佐藤忠義さん(67)は自宅前に広がるワラビ園を見つめた。昨年3月15日。原発の水素爆発で放出された放射性物質の降下がピークとされる日だ。

 人口約6千人の飯舘村。佐藤さんが暮らす60世帯弱の前田集落はムラづくりの先進地だった。村で初めて営農組合をつくり、高付加価値の稲作へ転換。5年ほど前には遊休状態の牧草地で観光ワラビ園を開き、都市との交流も緒に就いていた。

 帰村か移住か。集落を引っ張ってきた佐藤さんでさえ揺れる。長期化する避難生活が、住民に苦渋の選択を強いる。村は「希望者全員」の帰村を掲げている。気持ちは分かる。だが「今の状態でみんなに同じ方向を向こうとは言えね」。時折、目頭を押さえながら佐藤さんは言った。

 若い世代は避難先で仕事や就学の基盤を築き始めた。60歳代が担い手の農業は数年の空白でも足元が崩れる。仮設住宅の暮らしは高齢者の気力を奪いつつある。そして、大前提となる除染は予定通り進むとは思えない。

 今回のアンケートで古里に「戻りたい」と答えたのは27人。うち約6割が「先祖代々の墓や土地」「町への愛着」を理由に挙げた。

 「戻らない」は14人。昨年9月の9人から5人増えた。9割弱が除染の困難さを理由に選んだ。中間貯蔵施設の迷走を含めた除染の遅れなどが、帰還への思いを後退させていることがうかがえる。

 国が、避難区域を3区域に再編する方針を地元に伝えたのは昨年末。自治体は相次ぎ、別の都市に新たな拠点をつくる「仮の町」構想を口にし始めた。

 「遅すぎる。その仮の町でさえいつになるか」。双葉町婦人会長の中村富美子さん(60)はいう。唯一、町ごと県外避難している双葉町。

町は区域再編で「帰還困難区域」と「居住制限区域」が過半となる見通し。長期避難は避けられない。

 中村さんは昨年10月、町が役場機能を置く埼玉県加須市の高校から茨城県つくば市の公務員住宅に移った。住民有志で独自に選んだ「移住先」だ。

 町が将来の道筋を示せずにいる中、中村さんたちは自ら空いていた国の公務員住宅を探し当て国との交渉をまとめた。双葉町の150世帯強がここで新たな生活をスタート。自治会をつくる準備も進めている。

 「ここからの1年が厳しい。勝負の年になる」と飯舘村の佐藤さん。近く集落で今後を話し合うつもりだ。

健康不安

内部被曝「怖い」6割

 浪江町からいわき市に避難している高校3年鈴木千尋さん(18)は気になっている。事故直後に放射線量の高いホットスポットに避難させられたことだ。

 内部被曝(ひばく)を調べるホールボディーカウンター(全身測定装置、WBC)の検査は「検出限界値以下」。甲状腺の検査も「異常なし」だった。でも…。

 「政府も東京電力も医師も、誰も放射能の本当の影響は分からないのではないか。定期的に検査を続けてほしい」。将来、健康な子どもを産みたいという鈴木さんは願う。

 1年前には誰もが予想すらしなかった自らの被曝。アンケートでは、原発事故後に健康状態の変化を感じた人が半数強いた。将来の健康不安は根強く、6割は内部被曝が「怖い」と答えた。

 WBCによる内部被曝検査を受けた人は昨年9月時点よりも5人増えた。住民向けにはWBC検査が原則行われていなかった数カ月の状況よりは改善したといえる。しかし21人は検査を希望しているものの、まだ受けられない。

 一方、検査を受けても「安心した」のは3人だけ。双葉町の農協職員小畑明美さん(44)は問題ないとされたが「ゼロではなかったので不安は高まった」とする。

 放射線の健康影響は、古里への帰還を左右する要素でもある。浪江町が高校生以上の全町民を対象に昨年11月にした住民アンケートでは、およそ半数が「震災発生前の線量」を町に戻る目安とした。国が除染後の目標値にする年1ミリシーベルトを選んだのは約2割にとどまった。

 同町から二本松市に避難する高校2年の菊地彩さん(17)は、原発事故から1年を前に両親に話しかけた。「近所の人たちもすごく親切だった。やっぱり浪江の家で暮らしたい」

 しかし父親の晃さん(42)は複雑な心境だ。希望をかなえてやりたいが、放射能がどう影響するのか。「『ここに帰ってこい』と言える古里を早く決めてやりたい」。子どもたちを気遣う日々が続く。

失った職

自営業者ら 描けぬ展望

 立ち入りが禁止されている警戒区域にある浪江町の店から仮設住宅に持ちこんだフライパンを振るいながら、志賀誠一さん(57)がつぶやいた。「料理を作ることが、自分には一番しっくりくる」。事故前まで30年間、トンカツ料理店を営んできた。

 50人のうち原発事故後に職を失った人は16人。公務員や主婦、中高生を除く38人のうちでは約4割になる。目立つのは、自営業者や農林漁業の従事者。自らが投資した土地や建物で生計を立ててきたからこそ、再開や転職へのハードルは高い。

 「前の店の借金を抱えて新しく店を出すには勇気がいる。国は将来展望を描けるような補償をすべきだ」と志賀さん。学校の修復を手伝ったり、郡山市にできた期間限定の「復興応援食堂」で料理人をしたりしながら店の再開を期す。政府が近く示す避難区域再編の発表が、決断の時と思っている。

 放射能汚染は、農家から安全な田畑を、漁師から海を奪った。

 飯舘村で和牛を育てていた高野健一さん(60)。最初に取材した昨年5月ごろは「線量が下がれば、いつかは再び牛を飼えるかもしれない」との思いがあった。しかし、除染の遅れや風評被害の根深さを感じるうち「放射線量が低くても『飯舘産』の野菜や牛を買ってもらえるか」と思うようになった。

 浪江町の漁業鈴木幸治さん(59)は「10~20年は放射性物質の影響が続くだろう。母港は原発から6キロ。魚を買ってくれる人はいるのだろうか」。深いため息をついた。

復興の鍵

被爆地に学ぶ「これから」

 「私に何ができるだろう。まずは知ることからだろうか」。2月下旬に訪れたウクライナ国立チェルノブイリ博物館で、飯舘村の佐藤健太さん(30)は来場者ノートに記した。

 約10日間、チェルノブイリ原発事故(1986年)で汚染地帯となったベラルーシなどを巡った。福島の復興が本当にかなうのか、古里を離れるべきなのかを見極めたいとの思いからだ。

 原発から約45キロ離れながら高濃度の汚染が広がった飯舘村。放射能の影響について国や専門家の情報が交錯する中、頼ったのは被爆地広島だった。

 広島県被団協(金子一士理事長)に助言を受け、住民が事故後の詳細な行動を記録できる手帳作りを自ら始めた。広島大名誉教授の鎌田七男医師には内部被曝を防ぐ方法を聞いた。

 そして放射性物質の測定や情報共有をするセンターを地域主導で作ったベラルーシでは、放射能と向き合って暮らすすべを知った。「ヒロシマ、ベラルーシで人の絆も得た。僕がフクシマとのパイプ役になれたら」

 今回のアンケートでも、被爆地に思いを重ねる回答が相次いだ。「広島、長崎のように復興したい」「被爆した後の生活体験を聞かせてほしい」―。原発の危険性を訴えてきた南相馬市の山崎健一さん(66)は「日本はヒロシマから何も学ばなかった」と戦後の原子力平和利用の流れを表現した。

 広島の被爆者の話を聞いて衝撃を受けたことがあるという小畑明美さん(44)はこう頼る。「私たちに力をください。勇気、未来を教えてください」

①原発事故当時の住所。かっこ内は現在の環境②職業③現状と意見

岡恵輔さん(32)
①南相馬市(自宅)②アルバイト③政府は緊急時避難準備区域を解除したが、集落には住民が半分しか戻ってきていない。「政府への不信感はいまだ強い」。地元の土地改良区の臨時作業員としてがれきの撤去作業をしている。「がれきは仮置き場に山積みのまま。復興を実感できない」

小林綾子さん(51)
①南相馬市(自宅)②主婦③雨どいの下の土が、毎時100マイクロシーベルトを超えたため、庭全体の表土をはぎとった。でも、20歳代の娘2人とは一緒に暮らせそうもない。「家族が散り散りになり、精神的に参っている」という。政府の根拠のない「事故収束宣言」に憤りを感じている。

標葉知亨(ともこ)さん(27)
①南相馬市(福島県相馬市に転居)②主婦③精神状態は不安定という。医師である夫の仕事で3月下旬、横浜市に引っ越す。「福島から来た」というイメージが付きまとうかもと考えると、いっそう不安だ。「戦後、広島の方は被爆で苦労された。今度は私たちが被曝を背負うのですね」

鈴木辰弥さん(30)
①南相馬市(同市内で避難中)②火力発電所作業員③11歳の長女と10歳の長男が通う小学校では、被曝を避けるため校庭で遊ぶ時間の制限が続いている。それなのに、政府が避難対象区域を見直そうとする動きに疑問を感じる。「子どもたちへの影響が最も心配。慎重に判断してほしい」

鈴木昌一さん(57)
①南相馬市(自宅)②材木店経営、市議③市内の一部は緊急時避難準備区域が解除されたが、住民の帰還は加速しない。材木店の売り上げは前年の3割程度だ。市の課題は除染だが「放射線量が半減したとしても住民は戻るのだろうか」。復興の道筋を描くのは難しいと感じている。

山崎健一さん(66)
①南相馬市(川崎市に避難中)②元高校教師③南相馬市内はまだ除染作業が本格化していない。避難者5人で昨年12月に東京電力、今年1月に首相官邸を訪れ、除染を進めるよう求めた。「東電は除染を国に任せず、原発事故の責任を取り、自らも主体となって積極的に除染するべきだ」

愛沢卓見さん(40)
①飯舘村(福島市に避難中)②福島県職員③村民有志と「住民目線で健康影響の評価を」と国や自治体に求めてきた。今もなお「被曝は過小評価され、住民は切り捨てられようとしている」と感じる。被爆地広島に「一人一人の復興への歩みを応援してほしい」と求める。

小林麻里さん(47)
①飯舘村(福島市に避難中)②NPO法人職員③週に1度は飯舘に戻ってチャボの面倒を見、家の養生をする。放射能の影響をめぐる情報の洪水が「住民同士の人間関係にも亀裂を入れている」と感じる。避難者の疲労が極限に達する中「心のケアこそが本当に求められている」。

佐藤健太さん(30)
①飯舘村(福島市に避難中)②村商工会青年部副部長③事故直後、村を訪れた専門家の「(積算)100ミリシーベルトでも健康に問題はない」という言葉に憤りが消えない。講演を要請され、各地で村の苦悩や現状を語る。「直接伝え人々とつながりたい」。将来ある子どもたちのため行動する。

佐藤忠義さん(67)
①飯舘村(福島県伊達市に避難中)②農業③福島市内の仮設住宅に1月、村の農産品直売所を開設した。村民は仮設住宅近くに農地を借り、そこで育てた作物を持ち寄る。「みんなの生きがいは、やはり農業だ」。本格的な農業復興には「水耕栽培の促進など思い切った施策が必要」。

佐藤八郎さん(60)
①飯舘村(福島市に避難中)②村議、農業③内部被曝を防ぐため、食べ物に注意している。被爆地広島に視線を注ぐようになったのは、村の青年団活動がきっかけ。「人間が制御できない原発には手を出すべきではない」。原発の海外輸出にこだわる政府に「憤りを覚える」と話している。

佐藤美喜子さん(60)
①飯舘村(福島市に避難中)②村婦人会長③仮設住宅の管理人を務める。「避難生活が長くなるほど、精神的苦痛は大きい。せめて今を元気に生きるため避難者同士で時間を共有したい」。最近、急に脈拍が速くなり心臓の検査を受けた。「経済よりも命を優先して」との願いは切実だ。

高野健一さん(60)
①飯舘村(相馬市に避難中)②会社員③34歳の長男が後を継ぐはずだった畜産業を廃業した。数年で帰村して再び牛を育てようと思ったが、現実は厳しかった。仮設住宅の近くで、水耕栽培による花作りができないか検討中。「村に戻れたら、その時は設備を移し、息子に任せたい」

長谷川義宗さん(32)
①飯舘村(山形県長井市に避難中)②酪農業③雇われ、酪農の仕事を続けている。古里の集落の意向調査には「飯舘には戻らない」と答えた。「俺が生きてるうちは元に戻らない」。自宅の牛舎などはそのまま残る。「処分もできない。事故から1年たっても落ち着かない暮らしが続く」

鎌田正子さん(61)
①葛尾村(福島県三春町に避難中)②養豚業③避難対象区域が見直されても、村には戻らないつもり。「放射性物質が完全になくならないと、作った野菜を安心して食べることすらできない」。原発から離れた場所の国有林などを開発し、長期的に生活できる住宅団地の設置を求めている。

松本文男さん(59)
①葛尾村(三春町に避難中)②元土木作業員③仮設住宅で、89歳の母と避難生活を送る。介護で会社に通えず、1月末に解雇された。自宅は警戒区域内。一時帰宅できた時が1年で最もうれしかった瞬間という。「除染で放射線量が十分に下がり、古里に戻れる日をいつまでも待つ」

菊地彩さん(17)
①浪江町(福島県二本松市に避難中)②高校生③避難先の高校でも、バレーボール部に入った。大会規定で試合には出られないが「新しい仲間もできたのがうれしい」。それでも望郷の念は抑えきれない。「やっぱり、浪江が一番」。親切にしてくれた近所の人たちの顔が思い浮かぶ。

佐藤秀三さん(67)
①浪江町(二本松市に避難中)②種苗店経営③温暖な沿岸部から内陸部に。この冬、最低気温が氷点下10度を下回った。仮設住宅の水道が5日連続で使えないことも。「沿岸部の住民には気候が合わない。今後、住民の移住先を決める際には住民の意見を聞いて決めてほしい」

志賀誠一さん(57)
①浪江町(二本松市に避難中)②飲食店経営③「補償をもらっているくせに」「大きな被害に遭ってないだろ」。同じ県民が、原発からの距離によって陰口を言う状況に心を痛めている。「気兼ねなく、愚痴をこぼせる場所をつくりたい」。仮設住宅を回る屋台を考えている。

鈴木千尋さん(18)
①浪江町(いわき市に避難中)②高校生③祖母と二人暮らしだったが、離れて避難した。4月には仙台市内の大学に進学する。「祖母が心配で東北を離れたくないから」。余震には「原発がまた爆発するかもと不安」。国は子どもの医療費を無料化し、健康を守るべきだと訴える。

鈴木幸治さん(59)
①浪江町(福島市に避難中)②漁業③原発から6キロの場所で弟と漁業をしていた。船の係留場所は立ち入り禁止区域内。「エンジンがさびつき、漁業再開は今後も無理では」。避難生活を支えてくれたのは古くからの友人たち。家電製品をもらった。「人情のありがたさを感じている」

関根俊二さん(69)
①浪江町(二本松市に避難中)②医師③緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の試算結果の公表を政府が遅らせたことに今も憤る。「多くの人が無駄な被曝をした」。内部被曝検査の開始の遅れも解せない。「政府の対応にあきれかえる」

門馬嘉彦さん(32)
①浪江町(福島市に避難中)②シンガー・ソングライター③避難所や仮設住宅を回り、ライブ活動を続けている。関東地方など福島県外からも招待がある。ライブを兼ねて原発事故被災地の現状を伝えている。「原発事故の記憶が風化しないよう、多くの人に語り続けたい」と誓う。

山田四郎さん(72)
①浪江町(福島市に避難中)②双葉地方農済組合長③特産のナシを二十数年栽培してきた。品種交換に取り組んでいた矢先の放射能汚染。昨秋、初めて収穫できなかった。「この年だからもう農業はできない」。原発建設時に懸念した農業への被害が現実になった悔しさが募る。

渡辺直さん(15)
①浪江町(二本松市に避難中)②中学生③友人や先生と離れ離れになり、いまだに連絡のつかない人もいる。「原子力関連の仕事に就きたい」と思っていたが、事故で考えは一変した。食品などによる内部被曝を心配する。「戻って暮らすことは難しいと思うが、古里は失いたくない」

猪井美穂さん(24)
①双葉町(埼玉県加須市に避難中)②小学校非常勤講師③町役場とともに埼玉に移った。つきあっていた男性との結婚も決まった。「双葉の子どもに笑顔が増えているように感じ、励まされる」という。「心の傷や悔しさは消えないけれど、新しい絆も生まれている。前を向いて歩きたい」

小畑明美さん(44)
①双葉町(加須市に避難中)②農協職員③JAふたばが加須市に設けたサポートセンターで働く。事故が風化しつつあるのを感じてやりきれない。励みは、小学1年の長男が元気に登校する姿。「安堵(あんど)できる地で生活や精神が落ち着いたときが本当の原発事故『収束』と思う」

土田芳則さん(63)
①双葉町(いわき市に避難中)②元大工③福島県猪苗代町の避難所を経て、今は借り上げ住宅で暮らす。「被災者を取り巻く環境は改善していない」。第1原発で作業中に地震に遭遇した。「安全神話をうのみにしていた。原発賛成だったが、今はどちらともいえない」という。

中村富美子さん(60)
①双葉町(茨城県つくば市に避難中)②町婦人会長③夫と2人暮らし。静岡県に避難していた息子家族も近く転居してくる。「ようやく心が落ち着く場所を見つけた」。地震発生時、抱いてかばった孫娘はこの春、小学校に入学する。「笑顔を増やし、上を向いて生きたい」と願う。

羽山文人さん(35)
①双葉町(埼玉県内に避難中)②鉄工所経営③東京都内に窓口をつくって避難者の相談を受けている。「情報がなかなか届かないという憤りをみんな抱いている」。自らも有効な支援を得られないまま、取引先に借入金を返せていない。「賠償も支援も当事者の頭越しに決まっている」

谷津田光治さん(70)
①双葉町(つくば市に避難中)②農業③町議時代、地域発展のため原発の増設決議に加わった。先日、東電社員が避難先に来た。「自分は原発を30年賛成してきた。裏切られた思いだ」と怒りをぶつけた。「先祖代々の墓がある。帰りたいというよりも、帰らねばならないんだ」

秋本正夫さん(72)
①大熊町(福島県会津若松市に避難中)②釣具店経営③民生児童委員協議会長として、高齢者の見回り活動をしている。自分も含め、借り上げアパートでの生活になじめない高齢者が多いという。「避難指示が解除されれば、放射線量が高くてもすぐに自宅に戻りたい」と話す。

尾内武さん(63)
①大熊町(会津若松市に避難中)②農業③自宅は原発から約2キロ。放射線量が高く、長期的には居住が困難な地域に指定される見通しだ。「生きているうちには帰れない」と覚悟する。「移住先を早く見つけないといけない。1年たってもまだ気持ちの整理がなかなかつかない」

大賀あや子さん(39)
①大熊町(会津若松市に避難中)②農業③母乳に含まれる放射性物質の量の検査をしてきた。福島県民の健康と生活を国が保障する援護法制定を国に求めている。「広島、長崎の被爆者を救済する被爆者援護法を参考に支援策を充実させ、幅広い人が支援対象になる法律が必要だ」

菊地マチ子さん(60)
①大熊町(会津若松市に避難中)②無職③「この1年間、避難者の声は国に届かないと感じた」。冬前から仮設住宅の屋根の雪止め工事を町を通じて国に要望してきたが、2月中旬まで実現しなかった。「避難区域の見直しや除染についても、国は住民の意見を直接聞いてほしい」

佐藤真さん(64)
①大熊町(いわき市に避難中)②畳製造業③まだ微量の放射性物質は放出されているのに政府が原発事故の「収束宣言」をしたことに疑問を抱く。「本当の収束は廃炉が完了した時だ」と強調する。「廃炉には長期間かかるため、国は新たな移住先の建設に力を入れるべきだ」

志賀秀栄さん(70)
①大熊町(福島市に避難中)②JAふたば組合長③浜通りの農業復興は「今年が勝負」と感じる。広野町などに設置した試験ほ場で放射能の影響を調査している。結果を分析して来春の農作物の作付けを後押しする考えだ。「農家の生産意欲の灯を消さぬよう、最大限支援したい」

菅波佳子さん(41)
①大熊町(福島市に避難中)②司法書士③新たな事務所を構える決断ができず、新規の仕事が受けられない。県司法書士会などが主催する東京電力の賠償金の説明会などに参加している。「双葉郡には弁護士事務所がない。東電は避難者に分かりやすく賠償手続きを説明していくべきだ」

吉田稔さん(64)
①大熊町(会津若松市に避難中)②元原発作業員③約40年間、福島第1原発などの建設に携わってきた。昨年3月末で退職した。「大事故が起き、何のために原発を建設してきたのかとむなしい気持ちだ」と肩を落とす。3年をめどに町に戻れなければ、福島県外に移住する。

渡辺信行さん(59)
①大熊町(会津若松市に避難中)②建設会社会長、町議③汚染土壌などの中間貯蔵施設の建設場所をはじめ、双葉郡8町村の足並みがそろっていない。復興を加速させるには8町村の合併が必要。「放射線量が低い場所に新たに都市をつくり、雇用の場や病院を建設するべきだ」

安藤治さん(62)
①富岡町(三春町に避難中)②派遣社員③福島県の委託事業で週1回、富岡町内で防犯パトロールをしている。事故前に農業をしていた大地を眺めていると、古里への愛着が深まる。「除染は困難な作業。だが国は以前の放射線量に戻るまで投げ出さず、やり遂げて」と訴える。

北村俊郎さん(67)
①富岡町(福島県須賀川市に避難中)②日本原子力産業協会参与③原発で電力を生むことには賛成だったが、今は反対。汚染された自宅は当分住めないと諦める。「国土が狭く、地震が頻発するわが国は原発には向いていない。政府の事故対応能力のなさからも、原発を使うべきではない」

関友幸さん(66)
①富岡町(いわき市に避難中)②農業、町議③あの日、津波被害をぎりぎり逃れた。事故前から脱原発を掲げて活動してきた。「自分の力が及ばなかった」。子どもの年間被曝量を1ミリシーベルト以下に抑える仕組みの構築と、福島県内にある全原発の廃炉、撤去を求めている。

関根美佐夫さん(63)
①富岡町(三春町に避難中)②元原発作業員③仮設住宅で一人暮らし。東京電力からの賠償金で、生活費のほぼ全額を賄う。「いつまでも賠償金に頼ってはいられない」。働き場を探しているが、高齢のために道は険しい。「古里のためになりたい」。除染に関わる仕事を探す。

秋元公夫さん(64)
①川内村(福島県田村市に避難中)②双葉地方森林組合長③国の除染作業は宅地が優先され、山林は後回しになっていると感じる。「山を放置すれば荒廃が進み、土砂崩れなどの災害も起きやすくなる」と危ぶむ。「国は今後どう除染を進めるのか、真剣に考えるべきだ」と訴える。

佐久間義豊さん(29)
①川内村(福島県郡山市に避難中)②会社員③避難先から70キロ離れた川内村の勤め先まで車で通う。1月、村は双葉郡8町村で初めて「帰村宣言」したが、郡山市にとどまるつもり。「医師でさえ、放射線による健康影響をはっきりとは分かっていない状況。一人娘を連れては戻れない」

佐久間知導さん(30)
①楢葉町(いわき市に避難中)②住職③原発事故後、避難所や親戚宅など計10カ所以上を転々とし、現在はいわき市内の仮設住宅で暮らしている。取材に対して「今は、何も話したくない」としている。

松本一弘さん(42)
①楢葉町(福島県会津美里町に避難中)②会社員③勤め先の電気工事会社が原発20キロ圏内にあり、休業状態が1年間続いている。「いまだに生活の先行きが見通せないのが一番つらい」。東京電力に対し「原発からの放射性物質の放出を止め、住民にしっかりと賠償するべきだ」。

阿部理恵さん(40)
①広野町(いわき市に避難中)②主婦③太鼓チームのメンバーと、1月の復興コンサートで再会した。「久しぶりに一緒に演奏できて感動した」。町は3月、役場機能を元の場所に戻した。子どもの通う学校は新年度、2学期から再開する見通し。「除染の状況を見極めた上で戻りたい」

小松和真さん(43)
①広野町(いわき市に避難中)②町職員③妻と16歳の次女と暮らす。町の健康・福祉担当を務め、「東京都や静岡県から応援に駆け付けてくれた保健師に感謝している」。ヒロシマ、ナガサキの被爆者健診に注目している。「福島県民の健康を守っていくため、参考にすべきだろう」

 
避難区域の見直し

  国は3月末をめどに現在の避難指示区域を3区域に再編する方針。年間被曝線量が年20ミリシーベルト以下は「避難指示解除準備区域」、20ミリシーベルト超~50ミリシーベルト以下の「居住制限区域」、50ミリシーベルト超の「帰還困難区域」とする。除染については2014年3月末までに解除準備区域の除染完了、居住制限区域でも20ミリシーベルト以下に下げる工程表も示した。一方、帰還困難区域では本格的な除染の開始時期もみえない。

 
東京電力の賠償の仕組み

  賠償範囲は、文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が決定する。長期間の避難生活を強いられた住民の精神的苦痛については、原則1人当たり月額10万円。事故後半年以降は月5万円が支払われる。

 中小企業への賠償は通常の利益をベースに計算。農家の場合は、耕作できなかった面積に、面積当たりの期待所得を掛けて計算。事故の影響で廃棄した農作物の損害も対象となる。被害者が東電との交渉に納得できない場合、原子力損害賠償紛争解決センターに仲介を申し立てることができる。

(2012年3月12日朝刊掲載)

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