×

連載・特集

海自呉地方隊60年 第2部 時代の目撃者 <7> インド洋派遣(2001~10年) 「9・11」転機 任務多様化

 転換点は2001年9月11日だった。米中枢同時テロ。未曽有の事態を受け、国際社会はテロとの戦いをより強く意識するようになった。海上自衛隊も同盟国の対テロ戦略に深く関わることになる。

 米英軍は翌月、テロを首謀したとして、ウサマ・ビンラディン容疑者の拠点があるアフガニスタンを攻撃した。その後、米軍主体の10カ国余りが、テロ組織に武器、資金が渡るのを防ぐ海上阻止行動をインド洋で展開した。

 海自隊は外国艦に燃料や水を補給することになった。2年間の時限立法として同年10月成立したテロ対策特別措置法が根拠だった。1回目の艦船派遣は11月。呉基地から補給艦とわだが出港し、他の基地から出た艦船とともに任務に当たった。

 「これまでの訓練と同じことをしただけ。ただ緊張感のレベルが少し違った」。02年、呉基地から延べ5隻目の派遣艦となった護衛艦さみだれに乗り込んだ石沢淳さん(58)=東広島市=は振り返る。近づいてくる漁船は実はテロ組織ではないかなどと細心の注意を払ったという。

 同法は07年11月に失効し、08年に新テロ特措法が成立。新法の期限が切れる10年までの8年間、海自隊は計約50万キロリットルを給油した。呉基地が母港の艦船は延べ18隻派遣された。

 09年からアフリカ東部、ソマリア沖の海賊対処行動に参加する。1991年のペルシャ湾への掃海部隊派遣から四半世紀。呉基地から艦船を送り出す光景は珍しくなくなった。乗組員の世代交代も進み、異国での任務を若い隊員たちが担う。=第2部おわり(この連載は小島正和が担当しました)

対テロ訓練重ね 給油支援

位田好正さん(59)=呉市阿賀中央

 補給艦とわだの通信員として2001、02年の2回、呉基地からインド洋に向かった。

 米中枢同時テロからしばらくして、予定していた国内での訓練が急きょ取りやめになった。米軍が動くとしたら、自衛隊は何らかの形で支援するのではと思っていた。考えられるのは後方支援。とすれば補給艦の出番かなと漠然と感じた。

 01年は出港の1カ月ほど前に任務を知らされた。目的地に着くまでの洋上で、テロを想定した訓練が頻繁にあった。不審な飛行機や船が接近してきたとの想定で、機関砲を目標の方向に合わせる。初めての訓練だった。

 通信室には、外国艦から給油の日時、場所などのオーダーが電信で送られてくる。上官への報告漏れや遅れがないよう集中した。

 インド洋の暑さには参った。気温は40度近い。艦外に出たとたんに汗が噴き出す。通信員は室内だからいいけれど、給油に当たる隊員は大変だ。救命胴衣を着けて長ければ3時間、屋外で作業する。脇の下にあせもができていた。

 「戦時下」の任務とはいえ、遠洋航海も米軍との共同訓練も既に経験していたから、戸惑いはなかった。任務を淡々とこなすことだけを考えていた。

 ただ、若い隊員の中には不安を感じる者もいた。海曹長として、艦内の雰囲気を良くしようと腐心した。餅つきや豆まきなども企画したよ。

 事故なく任務を遂行できた。歴史に残る場に立てたのはよかったと思う。

(2014年4月9日朝刊掲載)

年別アーカイブ