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復興の変遷 撮り続ける 広島市中心部の基町地区 東広島の梶川さん データ2000枚超寄贈へ

 米国による原爆投下後、生活の場を失った多くの市民が身を寄せ、1970年代まで簡易住宅が密集した広島市中心部の基町地区。広島県と市が再開発を進め、激変していった光景をアマチュアカメラマンが記録していた。東広島市黒瀬町の梶川祐治さん(93)。保管するモノクロ写真は2千枚を超す。「復興の象徴とされた町の姿を後世に伝えたい」。近く、広島市公文書館に全カットの電子データを寄贈する。(田中美千子)

 基町には戦前、陸軍施設があり、原爆で壊滅的な被害を受けた。戦後、県や市が次々に戦災者向け公営住宅を建設。入居できなかった市民が建てたバラックの不法住宅も河川敷を中心に並んだ。県と市は56~68年度に930戸分の中層アパートを建設。さらに68~78年度の再開発で、4566戸分の高層アパート群を整備した。

 旧広島貯金支局の職員だった梶川さんは75年に退職後、東区の自宅から基町に通い始めた。現在の市中央公園は当時、住宅や商店の撤去が始まったばかり。被爆の痕跡が刻まれた倉庫や石畳など軍施設の名残もあった。「当時の基町から原爆に破壊された悲しさと、未来への希望を同時に感じた。両方を切り取りたいと思った」

 梶川さんは堺町(現中区)に生まれ、幼い頃から軍都広島の拠点としての基町を知っていた。終戦を迎えたのは召集先の鹿児島県。復員して8月19日に見た古里は焦土と化し、基町の軍施設も消えていた。その後は、9人きょうだいの長男として家族を養い、本格的にカメラを始めたのは自らも家庭を築いた52年ごろ。「基町は最も打ち込んだ題材。週2、3回は足を運んだ」と振り返る。

 写真は発表の機会がないまま手元に置いてきたが、「昔を知る手だてになれば」と寄贈を決めた。市公文書館の中川利国館長は「基町の変遷をこれほど丹念に追った写真は珍しく貴重な歴史資料。活用法を検討したい」と話している。

(2014年4月21日朝刊掲載)

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