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社説・コラム

憲法 解釈変更を問う 神戸女学院大名誉教授・内田樹さん

日本側メリット見えぬ

容認なら範囲具体化を

 集団的自衛権を論じるにはまず、歴史的な経緯を知るべきだ。戦後の東西冷戦で、米国と旧ソ連がそれぞれの勢力圏の国で起きた動乱を抑えるための根拠とした。国連常任理事国の決議抜きで軍事行動を起こすため、強引に国際社会に認めさせたのが実態だ。

 実際の行使例としては、旧ソ連は1956年の民衆蜂起「ハンガリー動乱」、米国はベトナム戦争などが挙げられる。他国での軍事衝突が「自国の権益に大きな影響を与える」として軍事介入したケースが目立つ。

 端的に言うと「他人のけんかを買う権利」。戦争を外交戦略の一つと位置付ける超大国だけが行使してきた。69年間にわたって戦争をしてこなかった日本が使うべきものではない。

 護憲派の論客として知られる。神戸市で合気道の道場を主宰する武道家の顔も持つ。ブログを積極的に活用し、政治や憲法をめぐる意見を発信している。

 日米安全保障条約は、米国に日本防衛の義務があるとする一方、日本に米国防衛の義務はない。「米国だけ義務を負うのはおかしいから、集団的自衛権の行使を容認すべきだ」との議論があるが、それは話の筋が違う。本当に米国を守りたいのなら、安保条約を改定すればいいではないか。

 安倍晋三首相の本音は、憲法改正で9条をなくすこと。首相がフリーハンドで軍事行動を起こせる国にしたいのではないか。しかし米国が異論を唱えたため、反対されない形で改憲の実を取るために思い付いたのが、解釈改憲だろう。閣議決定で押し切ろうとする手法は立法府(国会)の無視で、「独裁」と同じだ。

 集団的自衛権の行使をめぐり、自民党内では限定的に容認する方向で調整が進められている。一方、解釈変更の閣議決定に先立って策定する政府方針に、朝鮮半島有事など行使を可能とする具体例を明記しない動きもあるとされる。

 「限定的」という言葉だけでは、その時々の政権の勝手な解釈で行使されかねない。行使容認は内閣に開戦権、交戦権を委ねるような話だ。どうしても行使を容認したいのであれば、行使する範囲を具体的に、明確に定義することが求められる。

 私には行使を容認するメリットが見えてこない。容認すれば東アジア諸国の軍事的緊張を高め、善隣外交はますます遠のくだろう。実際に行使した場合も、基本的に米国の指示に従うだけで、日本の国益にとってたいしたことはできないはずだ。

 一方、現場の暴走などで偶発的に中国、韓国との軍事的な衝突が起きたらどうなるか。東アジアでの戦争を望まない米国が日本に強い不快感を示し、安保条約に基づく防衛義務を果たさないこともあり得ると私はみる。そうなれば日本は国際社会で孤立し、滅亡へまっしぐらだ。これだけリスクが高く、予測される国益の少ない政策に突き進むことに意味があるとは思えない。(聞き手は松本恭治)

(2014年4月27日朝刊掲載)

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