×

社説・コラム

『フロントライン 備後』 老いる遺族会 試み新た 戦争の歴史 次世代にどう伝える

 広島県福山市のJR福山駅の北約400メートルの備後護国神社の入り口近く。芝生広場で遊ぶ子どもを見守るように約15の碑が並ぶ。大半が第2次世界大戦の犠牲者のために元将兵や遺族が建てた慰霊碑だ。戦後69年、碑に刻まれた歴史を知る人は減った。活動を続けられない遺族会や戦友会も増えている。一方で、次世代に思いをつなぐ新たな取り組みも芽吹き始めた。(久保友美恵)

 メレヨン島、東部ニューギニア、硫黄島、満州(現中国東北部)…。激戦地だった地名がある碑の多くは1970~80年代初めに建てられた。「食なく 傷病を癒(いや)すに薬なく 人間生存の極限を超えたり」。惨状を伝え、平和を願う言葉が刻まれている。

 だが、碑前での慰霊祭や清掃を続ける団体は少ない。市遺族会によると、メレヨン島(現ミクロネシア連邦ウォレアイ環礁)からの生還者と遺族でつくる全国メレヨン会の数人が月1回、硫黄島戦死者の遺族たちが隔月で集まっているだけという。

複雑な心情も

 満州開拓青年義勇隊桑田中隊の元隊員は今年4月で慰霊祭を終わりにした。地元の戦争史を調べている福山市議大田祐介さん(46)によると、福山市の陸軍歩兵第41連隊の元隊員でつくる「四一福寿会」は2010年に、東部ニューギニア戦友会は07年に、会員の高齢化で活動が難しくなり解散した。

 慰霊の継承を阻むのは担い手の高齢化だけではない。

 メレヨン島では、旧日本軍が造った滑走路が劣化して使えなくなって、今年3月まで7年間も遺骨収集ができなかったという。戦時中を生きた現地の古老も減るなど、環境も変化している。

 戦争体験を語れない複雑な心情も、継承の壁となっている。桑田中隊の元隊員の薦田誠治さん(84)は、娘や孫に慰霊碑を案内したことがない。「上官からの暴力、栄養失調で死んだ友の話など残酷すぎて話せない。子や孫もきっと関心がないでしょう」とこぼす。仲間の多くも子どもに話したことがないという。

後悔せぬよう

 一方で、戦争の記憶を若い世代に継承していくための試みも始まっている。毎年5月にある市戦没者追悼式は、今年から犠牲者の孫、ひ孫を積極的に招く。市遺族会の70、80代のメンバーが子や孫に参加を呼び掛けている。

 東部ニューギニアに赴いた南海支隊の戦友遺族会は7月、福山市で第41連隊慰霊祭を初めて開く。史料や写真を並べ、高齢遺族が若い世代に語りやすいよう工夫する。同会福山支部長を務める大田さんは「両親や祖父母が亡くなった後で『戦争の話を聞いておけばよかった』と悔やむ人は多い。一人でも多く関心を持ってもらいたい」と願う。

<メモ>福山市戦没者追悼式は10日午前10時から、丸之内の福山城公園である。市福祉総務課Tel084(928)1061。第41連隊慰霊祭は7月15日午前11時から、福山市緑町のローズアリーナである。大田さんTel084(921)8801。

(2014年5月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ