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岩国空襲の惨状を語る 学生に体験者

 1945年5月10日の旧岩国陸軍燃料廠(しょう)の空襲を生き延びた岩国市麻里布町の建設会社社長の村中巧さん(84)が22日、岩国市山手町の市民会館で、岩国YMCA国際医療福祉専門学校の学生27人に、当時の惨状を語った。

 15歳だった村中さんは陸軍燃料廠に勤務し、見張り業務をしていた。5月10日、防空壕(ごう)に入った途端、空襲が始まった。しばらくして外に出ると、周りは火の海だった。

 忘れられないのは学徒動員中に空襲に遭った少女の亡きがらと言い、「戦争ほど悲惨で、平和ほど尊いものはない。私が生き残ったのはここで訴えるため」と語り掛けた。

 介護福祉学科2年の矢野拓弥さん(21)=岩国市門前町=は「多くの犠牲の上に今の平和がある。戦争を起こしてはならない」と熱心に耳を傾けていた。

 この日、同所で始まった「原爆と戦争展」の一環。岩国原爆展を成功させる会(沖井洋一代表)が主催し、広島の原爆で被爆した鏡台、空襲の犠牲になった少女の日記など、資料やパネル約250点を展示。最終日の25日まで、毎日午後2時から空襲体験者や被爆者の証言がある。(増田咲子)

(2014年5月23日朝刊掲載)

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