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連載・特集

『生きて』 報道写真家 桑原史成さん <11> ベトナム戦争

テト攻勢 初の戦場取材

 韓国で取材を重ねると、ベトナムへの関心が膨らみました。同じ分断国家。東西対立の最前線。何よりも、戦争とはどんなものかをこの目で見たかった。あちこちの出版社から取材費を集め、1967年の12月にやっと南ベトナムに渡りました。

 渡航直後の68年1月31日未明、ベトナム戦争の大きな節目に遭遇する。北ベトナムの影響を受けた南ベトナム解放民族戦線が主要都市で一斉蜂起した「テト攻勢」だ

 首都サイゴン(現ホーチミン)の韓国大使館近くのホテルにいたら、「パン、パン」と乾いた音が聞こえました。旧正月を祝う爆竹と思い込んでいたら、えい光弾でした。翌朝、韓国大使館に駆け付けると、市街戦で傷ついた兵士を建物に引きずり込んだ血の跡が床に残っている。路上には薬きょうや手投げ弾が転がっている。局地戦か、クーデターか。見当もつかない。午後になって共同通信の特派員から「解放戦線の一斉蜂起だ」と聞きました。初めての戦場取材でした。

 テト攻勢では、サイゴンの米国大使館も占拠された。米国本土で厭戦(えんせん)ムードが広がる契機になった

 ベトナム戦争が終わる75年4月まで何度も渡航し、内戦が激化していたカンボジアにも赴きました。戦争を取材する写真家には二つのタイプがあります。最前線で体を張った撮影をする従軍派と、前線から距離を置く銃後派。負傷兵や孤児、市民生活に関心があった自分は銃後派です。従軍派が得意とするニュースではなく、水俣や韓国で経験を積んでいた組み写真で勝負しました。

 何としても撮りたいと思っていたのが解放戦線の根拠地です。養蚕指導の青年海外協力隊員だった東京農業大の後輩が73年、ベトナム人の協力者を見つけてくれました。山岳地帯の根拠地で会ったゲリラの顔は病人のように白かった。闇夜に行動するからでしょう。ハードルの高い撮影に成功した充実感を得ました。

 1年後、再び協力者に接触すると、無言でぶるぶる震えるばかり。家族に聞くと、密通が公安にばれたらしい。捕まった時のことを思い出したのでしょう。おびえる表情に「銃弾の飛び交わない戦場もあるんだ」と痛感しました。

(2014年5月27日朝刊掲載)

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