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連載・特集

『生きて』 報道写真家 桑原史成さん <12> 忘れられぬ失敗

サイゴン陥落 撮り逃す

 ベトナム戦争の末期は北ベトナム軍の優勢が強まっていく。取材の焦点は、南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン)の陥落に絞られた

 サイゴン陥落は1975年4月30日。忘れられない痛恨の日です。あの日、サイゴンに入れず、東京でじだんだを踏んでいたんだから。

 実は、陥落は雨期が終わる秋以降だと思っていました。75年の1月にサイゴンへ滞在し、「そう簡単に落ちない」と確信していました。南ベトナム軍の抵抗を過大評価していたのかもしれません。

 4月は全日本空輸の仕事でハワイにいました。そこに17日、カンボジア発のニュースが届きます。英字新聞の見出しは「プノンペン・フォール(陥落)」。クメール・ルージュ(ポル・ポト派)が親米政権を追い出した。それでも、サイゴン陥落までには時間があると思い込んでいたんです。

 北ベトナム軍の猛攻を受け、南ベトナムのグエン・バン・チュー大統領が21日に辞任。情勢は緊迫する

 日本へ帰国し、情勢の急変を知りました。間もなく、サイゴンの空港が封鎖され、日本からの空路は閉ざされます。取材費とビザの手配をしている間に、時間切れ。「タイで小型機をチャーターする」「米軍の協力でサイゴンに潜入する」…。現実離れした手段しか思い浮かびませんでした。

 知人の通信社記者は上司の許可を得ないまま、サイゴン行きの最終フライトに飛び乗ったと聞きました。現場に入らないと、何もできない。生涯最大の失策です。

 韓国の軍事クーデターに抵抗し、民主化を求める市民に軍が銃を向けた光州事件(80年5月)の現場にも立ち会えなかった

 あの時は、ソウルの妻の実家が取材拠点でした。米国ABCテレビの韓国人記者が「うちの米国人スタッフが光州に行く。同行しないか」と誘ってくれた。しかし、軍事政権を激しく批判していた日本人記者との付き合いを当局から厳しくマークされていた私は断念しました。

 歴史の節目を撮り逃すと、二度と同じ場面には遭遇しない。ドキュメントは厳しい世界なのです。

(2014年5月28日朝刊掲載)

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