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連載・特集

『生きて』 報道写真家 桑原史成さん <14> ソ連崩壊

政変直面 変革のうねり

 ベトナム戦争の最終章になったサイゴン陥落を撮り逃した悔しさを払拭(ふっしょく)するような大事件に遭遇します。1991年8月のモスクワ。ソ連崩壊の引き金を引いた共産党保守派によるクーデター未遂です。

  東欧諸国で民主化革命が相次いだ89年から2年。「世界最大の社会主義国家」を被写体に選んだ

 文芸春秋が創刊した月刊誌に在籍していた旧知の編集者が「企画を出せ」と言うんです。資金繰りがうまくいかずに東欧革命の取材を断念していたから、「ソ連を撮りたい」と即答しました。ウラジオストクでの海軍演習を取材した後、17日にモスクワへ。18日に小規模な航空ショーを撮影して、19日の朝を迎えます。

 現地でコーディネーターを頼んでいたセルゲイという青年から早朝、ホテルに「ゴルバチョフ(ソ連大統領)が辞任したらしい。モスクワを離れない方がいい」と電話が入りました。クーデターの一報です。

 クレムリンに近い「赤の広場」を目指しました。観光客が行き交い、衛兵の交代儀式もいつも通り。半信半疑で車を走らせると、大きな橋の向こうから戦車が次々と向かってくる。「サイゴン陥落の光景も、こうだったんじゃないか」と思ったね。迫ってくる戦車に300ミリの望遠レンズを向けました。

  ペレストロイカ(改革)に反発する保守派のクーデターは、市民と国際世論の反発に直面し、わずか3日間で未遂に終わる

 混乱の長期化を見越してフィルムを節約したけれど、あっけない終わり方でした。引き返す戦車の兵士に花束を渡す市民もいました。7月にロシア共和国の初代大統領に就任したばかりのエリツィンが、22日の勝利集会に集まった5万人の群衆に、げきを飛ばしていた。共産党の一党独裁が市民の力で崩壊した歴史の転換点です。23日夕には、共産党本部の屋上から赤旗が降ろされる瞬間を偶然、撮影できました。集まった市民の歓声で変革を実感しました。

  ゴルバチョフ大統領は24日深夜、国営テレビを通じて共産党の自主解散勧告を表明。同年12月にソ連は崩壊し、独立国家共同体(CIS)に移行した

(2014年5月30日朝刊掲載)

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