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連載・特集

『生きて』 報道写真家 桑原史成さん <16> 継続こそ命

進む老い 目をそらさず

  水俣病の公式確認から58年目となる5月1日。熊本県水俣市であった慰霊式でもカメラを構えた

 正直に言うと、水俣のことを気に留めていない時期もありました。韓国やベトナム戦争の取材に熱中していた30歳前後のころです。

 1970年6月、原因企業のチッソに民事裁判で損害賠償を求める「訴訟派」のデモが東京でありました。行進の先頭に掲げられた写真は、水俣市立病院で撮影した患者の少女。市役所に昔、寄贈した写真を、訴訟派が無断使用したのです。この一件が、水俣で築いた人間関係に大きなひびを入れます。

  少女の父親は、何度も撮影に協力してくれた仲のいい漁師。補償の在り方をめぐって訴訟派と対立する患者団体に所属していた

 デモの数カ月後、水俣で会った父親に「もう、友達じゃなか」と言われて、はっとしました。家族の心情に思いが至らなかった。

 年に数回、水俣へ行きますが、手土産を必ず持参します。玄関先で立ち話をするだけでもいい。「継続こそ命」のドキュメントでは、人とのつながりが何より大切です。

  患者の撮影では「アップのリアリティーに頼りたくない」と言う

 胎児性患者も60歳近い。しわも増えた。でも、幼少期や若いころから付き合っている患者だから、かわいい時期を知っているんですよ。厳しい現実をのみ込み、砕いて自分のものにして、絵画のように表現したい。目をそらさずにじっと見てもらい、共感を得る写真を撮りたい。

  土門拳賞の受賞を機に、水俣をテーマにした写真展の開催が相次ぐ。最新刊の写真集「水俣事件」は韓国語版の出版も決まった

 若いころは、一貫性を持った取材をするとは思っていませんでした。そこに共通の話題で語り合える、心を許せる人がいるから続いたんでしょうね。水俣は古里のような場所。訪ねるたびに刺激を受けています。=おわり(この連載は文化部・石川昌義が担当しました)

(2014年6月3日朝刊掲載)

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