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連載・特集

海自呉地方隊60年 第3部 自衛官になる <1> 登竜門 入隊5ヵ月 厳しい規律

 海上自衛官を目指す若者のスタートラインの一つ、海上自衛隊呉教育隊(呉市幸町)。入隊から5カ月間、集団生活を送りつつ基礎を体にたたき込む。そして夏の終わりに、呉基地をはじめ全国の部隊に散らばっていく。呉湾近くの市街地の一角で、厳しい訓練に明け暮れる若者たちの素顔や息づかいを追った。

 「人格を尊重し、心身を鍛え…」

 「事に臨んでは危険を顧みず」

18~26歳の若者

 桜の盛りも過ぎた4月8日、セーラー姿の318人の宣誓が体育館に響いた。

 呉教育隊の入隊式。18~26歳の若者が4~10倍の競争率を経て海自隊の門をくぐる。海自隊の基盤を支える曹士クラスの卵たちだ。8月下旬の部隊配属まで隊舎で生活し、規律や専門知識を学び体を鍛え上げる。

 呉教育隊のトップ、茂津目晴道司令(55)=1佐=は「海上自衛官としての出発点。実際の部隊勤務に即した模擬部隊とも言える」と説明する。

 学生には、一般曹候補生(補生)と任期制の自衛官候補生(自候生)がいる。それぞれ50、60人の3分隊に分かれ、分隊は15人程度の4班で構成する。教練や生活は原則、分隊や班単位だ。全員が班の中で伍長、武器などいずれかの係を担当し、リーダーシップや責任感を育む。分隊や班対抗の球技、短艇(カッター)大会もあり、団結心や勝利への執着心を高める。

 「規律が厳しく、時間に追われている」と驚くのは自候生の村上重明さん(24)。教育隊の施設には、いたるところに「船の上」がある。朝夕の清掃は通称「甲板掃除」。入り口に水が張ってあり、靴の汚れを落とす。艦内には泥を持ち込まないというルールがあるからだ。狭い艦内での作業効率を重視し、整理整頓も徹底。漏電や転倒を防ぐため、水一滴こぼしてもいけないという。

志す動機は多様

 「海や船への憧れ」「自衛官の父の影響」「人を助ける仕事がしたい」―。自衛官を志す動機は多様だ。経歴も国立大卒、社会人経験者、元自衛官、高卒など多岐にわたる。就職難の影響で高学歴化も進む。

 2士から始まる自衛官は競争社会にもまれる。一定期間の勤務実績と優秀な成績を上げれば、幹部への道も開かれる。部隊勤務を重ねて専門技術を極める道もある。

 それぞれの夢と理想を抱えて入隊した若者たち。まずは教育隊での5カ月間、濃密な一日一日を心身に刻み込む。(小島正和)

呉教育隊
 1956年に江田島市に新編された呉練習隊が前身。翌年現在地に移り今の名になった。学生は男性だけ。一般曹候補生(補生)と自衛官候補生(自候生)の2コースがあり、月12万5500~17万700円が支給される。補生は入隊と同時に自衛官(2士)となり、教育隊修業後に1士、士長を経て、セーラーから制服に変わる3曹への昇任を目指す。自候生は7月に自衛官任官、その後2年9カ月の1任期を務める。希望すればさらに1任期2年勤務でき、その間に選抜試験に合格すれば曹以上に昇任する道も開かれる。教育隊は横須賀(神奈川)舞鶴(京都)佐世保(長崎)の各基地にもあり、女性は横須賀に入隊する。

(2014年6月3日朝刊掲載)

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