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社説・コラム

『論』 ダークツーリズム考 「悲しみ」どう共有する

■論説委員・岩崎誠

 仙台市を訪れた折に「語り部タクシー」に乗った。いま地元の各社が、競い合って走らせていると聞いたからだ。

 東日本大震災の被災地を回る定額制の貸し切りである。案内役のドライバー自身が被災者であり、体験を話すのが何よりの特色だ。復興需要が頭打ちの中で少しでも乗客を増やしたい、という切実な思いもうかがえる。

 先駆けという会社に2時間のコースを頼んだ。津波にのみ込まれた仙台の沿岸部などで、住民が命からがら避難した学校跡などの遺構や慰霊碑を巡る。その日の「語り部」は乗務歴10年余りの40代の男性。家族は無事だったが、実家は跡形もなく流されたそうだ。

 「とにかく命あってのこと。お宅の方でも津波がくれば何も考えずに逃げてくださいね」。当事者からの心得は胸に響くが、正直引きつけられたのは地元通ならではのきめ細かい情報の方である。

 全壊は免れた民家が、道行きにぽつりぽつり目に入る。この家の人は避難をためらって助からなかったとか、あそこは一家全員が亡くなって今なお取り壊しできず内部はそのままだとか―。生々しい語りから、地域として直面した悲劇がむき出しに迫ってきた。

 がれきに埋め尽くされた風景はとうに姿を消し、一帯は農地の復旧や土地のかさ上げが進む。この時点でお役所の視察にでも加わるなら「復興は順調」と通り一遍の感想に終わるかもしれない。被災地を繰り返し視察するのはいいが、希望を強調する現場ばかり訪れるわが国のトップのように。

 「ダークツーリズム」という言葉の本質を考えてみた。1990年代に欧米で使われ始め、このところ日本でも広がりつつある。

 観光学者の井出明氏は「戦争や災害といった人類の負の足跡をたどりつつ、死者に悼みをささげるとともに、地域の悲しみを共有しようという観光の新しい考え方」と定義する。ダークとは「暗部」とか「負」を意味するのだろう。

 この言葉が生まれる前から広島・長崎は世界的に重要な対象であり、3年前に観光ツアーが解禁されたチェルノブイリも当然含まれる。そして大震災の被災地も。

 思い返すのは半年前に訪れた福島県双葉町の風景である。許可を得て原発事故の現場から数キロの無人の街に入った。崩壊した家屋は放置されたままだ。イノシシがうろつき、田んぼはセイタカアワダチソウだらけ。原発事故など二度と許すまじと強く感じたものだ。

 原発事故と大津波の被害は、もとより意味合いが違う。ただ共通して発信されるのは悲しみであり、怒りである。それこそが「ダーク」の象徴にほかなるまい。

 一方、地元では「復興ツーリズム」という言葉の方が定着しているようだ。震災後は物見遊山でやってくる人も多く地元のひんしゅくを買った。そこを前向きに捉え直し、被災地観光を通じた復興支援という位置付けを明確にしたといえる。仮設商店街で地元産品を買い、鉄道など復旧した施設をどんどん使う。今や大手旅行会社もお薦めの旅行商品である。

 日本人にとって、震災自体が記憶に新しい今はまだいい。しかしコース化され、一定に整理された旅が歳月とともに生々しさを失っていくのは避けられまい。そのあたりを被災地はどうするか。

 「本場」たる広島の現状についても考えてみたくなる。被爆70年が来年に迫る。国内外の観光客も増えそうだが「悲しみの共有」という点ではどうなのだろう。

 国際政治学者の藤原帰一氏から厳しい指摘を聞いたことがある。戦後日本の平和主義の基礎となってきた広島の経験が、もはや国民の「ナショナルな記憶」から脱落しようとしているのだ、と。憲法9条の理念が揺らぎつつある今だからこそ、原点である生身の怒りや悲しみを思い返し、伝えたい。

 あえて極端な例を出す。1615年の「大坂夏の陣」は死者数万人といわれ、極めてむごたらしい合戦と伝わる。ただ古戦場を歩いても、さほど悲しみは感じ取れまい。つまり完全に歴史の一こまになってしまえば「ダークツーリズム」とはもう呼べなくなる。

(2014年6月5日朝刊掲載)

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