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連載・特集

緑地帯 広島「女縁」の現在 高雄きくえ <3>

 1973年、大学を卒業し広島に帰ってきた私の「女縁」づくりはミニコミ誌発行から始まった。大学時代の同期の女3人で「序声」を創刊。世に初めての声を発した。タイプを習い、制作した。

 当時、大卒の女には公務員や教員以外にほとんど就職先がなかった。「女の幸せは結婚」、25歳を過ぎると「クリスマスケーキ」と言われていた時代。私は今でいうフリーター、友人は何とか企業に潜り込んだものの、職場での性差別などもあり、お互い生き難い日々。「働く=経済的自立」が女にとっていかに困難だったことか。

 この状況は私だけの問題なのか―。自分たちの経験を言葉にしていくうちに「女の生き難さ」は社会構造の問題だと気付いた。目の前が少し明るくなり、方向性が見えてきた中で、私は写植機1台で印刷自営業を始め、ミニメディア創刊をひそかに目指した。

 85年、とうとう「家族社」という奇妙な名前の出版社をつくり、ミニコミ紙「月刊家族」を世に出した。性別役割意識の本丸であり、女の生きる場とされた「家族」を問うてみたかったからだ。

 文章など本格的に書いたことなどなかった私が、面白い、突っ込んでみたい、学びたいと思う「女と情報」を追い掛けて取材し、写真を撮り、記事にし、座談会をし、毎月毎月発行を続けた。読者は最多で全国2千人に達した。

 制作過程は、クモが虫を捕獲する網を張るように、女たちをつなぐ作業だった。違いは「捕獲」ではなく「共感」。共感が「女縁」をつくっていった。(ひろしま女性学研究所代表=広島市)

(2014年6月5日朝刊掲載)

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