×

連載・特集

緑地帯 広島「女縁」の現在 高雄きくえ <6>

 私が片仮名「ヒロシマ」に出合ったのは、私が被爆2世だからでも、平和運動に関心を持ったからでもなかった。被爆者であり女性史研究者でもある加納実紀代さんに出会ったからだ。

 加納さんは「日本の15年戦争は総力戦であり、女も『銃後』で戦争を担った。女は戦争の被害者だけではなく加害者でもある」と鋭く提起した。私が発行していた月刊家族にも「ヒロシマとフェミニズム」と題して執筆していただいた。「原爆乙女」というならばなぜ「原爆青年」はないのか。原爆被害を語る上でも、未婚の若い女性には顔や結婚が大切といったジェンダーがあり、被爆後の生き方を支配していると知った。

 ようやく私は「ヒロシマ」にたどりついた気がした。加納さんを講師に「ひろしま女性学講座」、上野千鶴子さんの講演会「女・核平和 フェミニズムの視点からヒロシマを検証する」などを開催。問題意識を共有、深化する場づくりをしてきた。2007年に起きた岩国の米海兵隊員4人によるレイプ事件を検証する連続講座も開いた。

 福島第1原発事故後のある日、加納さんから「なぜヒロシマはフクシマを止めることができなかったのだろうか」と問い掛けられた。ここ10年、私なりに「ヒロシマ」へのアプローチはしたつもりであるが、再び振り出しに戻された思いだった。

 私はいまも、語る言葉を持っていない。その「問い」を手放さずにいることが、私のできる精いっぱいの応答である。(ひろしま女性学研究所代表=広島市)

(2014年6月10日朝刊掲載)

年別アーカイブ