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連載・特集

緑地帯 広島「女縁」の現在 高雄きくえ <7>

 私が「ヒロシマ女性史」なるものをはっきり意識したのは、原爆資料館が1999年に開いた企画展「銃後を支える力となって―女性と戦争」だ。かっぽう着に「大日本国防婦人会」のたすきをかけた女性たちの写真を目にしたとき、その中に私の母がいるような気がして思わず探していた。

 このタイトルと写真では、「銃後の女」を誇っているようではないか。本当にそうだったのか。彼女たちは敗戦後どのように生きてきたのか。「銃後の女」からどのような軌跡の中で平和運動をつくり、今に至るのか。一度女性の視点での検証が必要だと思った。

 これまでの先輩たちの調査研究として、「広島県女性労働運動史」や「戦後50年 ひろしま女性年表」「ヒロシマの女たち」などがある。これらに学びながら、私も「ひろしま女性平和学試論」「フェミニズムからみたヒロシマ」など少しずつ出版してきたが、今こそこれらをつなぐ女性史的知見が求められている。

 ヒロシマと女性と言うとき、思い浮かぶのは、被爆10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの物語や、渡米してケロイド治療を受けた「原爆乙女」、胎内被爆した女性を描いた「夢千代日記」、広島市中区の平和記念公園南にある「嵐の中の母子像」などだ。被爆の記憶は、純粋無垢(むく)な被害者像か、困難に負けない母親像として、いまも語られ続けているように思う。これからは被害と加害の二重性を背負った主体としての女性の視点から、歴史を記憶し直す必要があるのではないだろうか。(ひろしま女性学研究所代表=広島市)

(2014年6月11日朝刊掲載)

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