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連載・特集

緑地帯 広島「女縁」の現在 高雄きくえ <8>

 思い立って昨年、半年ばかり韓国・済州島に語学留学した。ゼロからの出発は語学だけでなく、歴史についても同じだった。

 済州島は「韓国のハワイ」ともいわれる美しい島であると同時に、米軍政下の1948年に強行されようとした南朝鮮の単独選挙に、島民が反対して蜂起、3万人以上が惨殺された「4・3事件」が起きた島でもある。今年の春も4月3日を挟んで1週間済州島を再訪した。レンギョウが終わり、菜の花と桜が全島を彩っていた。

 美しい春の景色の中で起こった事件。そういえば「ヒロシマ」の8・6は太陽の照りつける真夏の出来事だった、と思いつつ、「4・3」「8・6」と言ってしまう私自身の傲慢(ごうまん)さに気付き、この日付で呼ばれる「出来事とその前後」の何を知っているのだろうかと途端に不安になる。

 「軍都廣島」で女はどのように生きてきたのか、「母性=平和」なのか。被爆2カ月後、広島に設置されていた占領軍兵士向けの「慰安所」の実態はどうだったのか。原子力の平和利用について女たちはどう考えてきたのか。なぜ原爆被害を語るとき「女性化」されるのか…こうした「問い」は、いまだあまり検証されていない。

 被爆70年を前に、あらためて仲間たちとジェンダー視点でみた「ヒロシマ問題とは何か」と考えてみようと思う。これまで遠回りしてきたその「問い」に、「女縁」そして「志縁」のチカラで近づいてみたい。今ごろ何を言っているのかと問われようと、その「問い」に応答するためにこそ。(ひろしま女性学研究所代表=広島市)=おわり

(2014年6月12日朝刊掲載)

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