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本浦説教所 被爆前の姿 広島市南区 100年前の法要写真発見 「明治期に存在」裏付け

 広島市南区東本浦町にある被爆建物の本浦説教所で、100年ほど前に開かれた法要の写真が見つかった。説教所は僧侶が市民を諭す場所。完成時期は不明だったが、少なくとも明治期にあったことが裏付けられた。建物を守ってきた地元住民たちは「歴史と被爆前の姿を伝える貴重な資料」と喜んでいる。(和多正憲)

 説教所は木造平屋。地元の古老の証言で、明治期ごろに住民たちが僧侶の話を聞く場所として、寄付で建てたと伝えられていた。

 写真はモノクロで説教所の正面を撮影している。大勢の僧侶や稚児が列をなし、詰め襟の制服姿の警察官や和服姿の住民が見守る様子が写る。写真の下には「大谷家御連子(三男)本浦説教場来場 明治45年5月21日」と記されている。1912年5月、京都から高僧が訪れ、法要があったとみられる。

 ことし6月中旬、地元町内会などでつくる「管理運営委員会」が説教所を修復作業中、かもいの上の隙間に落ちていたのを偶然見つけた。原爆で、爆心地から約4キロに位置する説教所は倒壊を免れ、96年に市の被爆建物に登録された。

 委員会の会長で、東本浦町町内会の浜井政彦会長(68)は「100年以上前の写真が見つかるとは驚いた。大切に保管し、被爆建物の歴史を伝えたい」と話している。

(2014年7月17日朝刊掲載)

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